15話 忘れていた事実
アイリーン視点です
(つ、疲れた…!)
なんとか自分の部屋にたどり着いた私は、そのままベッドに崩れ落ちた。まるで全身に重りがついているかのような体の重さ。体の節々が痛む。「もう一歩も動けない」という言葉は今の私のためにある。それくらい疲れた。体力には割と自信があったのにな…。
今日はベックフォードさんによる剣術レッスンの日だった。レッスンを受けるようになって2か月、彼の指導はどんどん激しさや厳しさを増している。彼曰く、教えたら教える分だけ上達するから楽しくなってついやりすぎてしまうんだそうだ。
…レッスン初日の会話を思い出してみる。
『……本当に剣を握ったのも今日が初めてなんですか』
『はい。でも、お嬢様の剣術レッスンは何度か見ていましたので』
『あー、なるほど。お嬢様のレッスンを参考にして一人でステップの練習とかはされていたと』
『いえ、ただ、見ていた内容がなんとなく頭に入っているので、今それも思い出しながら真似してみました』
『……』
私の言葉にポカーンと口を開けて情けない顔をしていたベックフォードさん。どうやら私には相当なレベルの剣術の才能があるらしい。
ベックフォードさんは「天才」だの「2年頑張れば一流の冒険者にも優秀な騎士にもなれると思う」だの大袈裟なこと言っていたかと思えば、しまいには「ちょっと羨ましいくらい…」と苦笑いしながら呟いていた。
は?今なんて?あなたが私のことを「うらやましい」と?
……なかなか素敵な嫌味をいう人だなと思った。たぶんその言葉を言われた時の私、さすがに憮然とした顔になっていたと思う。もちろん、彼が嫌味のつもりで言ったわけではないことは分かっていたけどね。でもこっちが苦笑いだわ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
冒険者メイソン・ベックフォードの存在は、お嬢様の命を守るための保険になる。
彼がお嬢様の「運命の人」だという話は私にとっては受け入れたくないものだったが、彼を全力で捜索して屋敷にお連れすること自体については、もちろん私に不満などあるはずがなかった。むしろ一刻も早く来てもらわねば。
お嬢様から相談を受けた旦那様と奥様によって、お嬢様の予知能力が『見通す眼』と呼ばれる、ローズデール家に伝わる由緒正しいものであることが判明した。そしてローズデール家は直ちにベックフォードさんの捜索に乗り出すことになった。
ローズデール家が本気を出せば、大陸から冒険者一人探し出すのはそこまで難しい話ではなかったようで、1か月ちょっとで彼が見つかったとの連絡がきた。シルヴィア様がご提案された捜索方法がよかったのかもしれない。
いずれにしてもその連絡を受けてからのお嬢様ときたら…「恋する乙女」とは何かを全身で表現するような状態になってしまっていた。
24時間ご機嫌MAXの状態が続き、空き時間は彼との出会いや将来のことを想像されているのか、蕩けそうな顔でボーっと海を見つめることが多くなった。
普段はほとんど興味を示されないドレスやアクセサリー、香水などを旦那様におねだりしたかと思えば、シェイプアップのためにダンスレッスンを増やし、毎日入念にお肌、髪のケアを行っていた。
極めつけは、興奮を抑えきれないといって屋敷のビーチで強力な魔法を放ち、驚いた奥様に雷を落とされてしまったことだった。
…うん、あれはヤバかったよ。何の魔法を使われたのかは分からないが、台風の時の数倍、いや数十倍、海が荒れていたからね。クラーケンかサーペントが襲ってきたのかと思った。
そしてベックフォードさんが屋敷にやってきた日。私は中庭で彼をお迎えしサロンにご案内する役目をいただいていた。
そして初めて会ったお嬢様の「運命の人」は…、なんというか少し拍子抜けする相手だった。あれだけの魔力を持つお嬢様でさえ回避できなかった命の危機を救える戦士ということで、どんな化物がやってくるのかと思っていたのだが…。
一言でいうと「平凡」。魔王のような威圧感も、勇者のようなオーラも感じられない、割とどこにでもいる冒険者か傭兵風の青年。
持っていた二本の剣もどう見ても「聖剣」とか「魔剣」の類には見えない。やや長身の標準体形で、シャープな印象を与える顔は「整っているといえば整っているかな」といったレベル。
それなのに彼の顔を初めて見たお嬢様は、夢見ていた王子様と出会えたことの感動が抑えきれないといった感じで、感極まって涙までこぼしそうになっていた。私を含む3人のメイドが4時間かけて仕上げたメイクが崩れることを気にしてくださったのか、なんとか涙は必死に我慢されていたけど。
結局お嬢様のやや強引な説得の成果もあり、ベックフォードさんは無事ローズデール家でお嬢様の専属護衛兼剣術教師として働くことになった。そしてベックフォードさんが来てからのお嬢様は……予想通り「恋する乙女」状態が標準モードになってしまった。
空き時間は頻繁にお部屋にベックフォードさんを呼んで、ニコニコ幸せそうな笑顔で彼との談笑を楽しむ。隣に控えていることが多い私まで、ベックフォードさんが生まれてからローズデール家入りするまでの経歴が大体わかるようになってしまった。
休日はベックフォードさんと二人で街に出かけてデートを楽しむ。もちろん、毎回早起きして気合の入ったメイクとヘアアレンジを施してから。おかげさまで最近、私のメイクとヘアアレンジのスキルが急速に伸びて、メイドとして一皮むけた気がする。
ベックフォードさんから指導を受けている剣術レッスンは、最初はうまくいっているようには見えなかったが、「メイソンに良いところ、頑張っているところを見せたい」というお嬢様のモチベーションが衰えることはなかった。
途中からベックフォードさんが教え方を工夫して、今はレッスン自体もうまくいっている様子。
ベックフォードさんと一緒の時のお嬢様は、まるでこの世の中のプラスの感情を全部濃縮して体内に取り入れたかのように幸せそうで、もはや私は嫉妬心もあまり湧いてこなくなっていた。
お嬢様があんなに幸せそうなら仕方ないね、むしろお嬢様を幸せにしてくれてありがとうベックフォードさん、みたいな。
ここまでくると、もう私は認めるしかなかった。お嬢様の気持ちは変わらないだろうと。そしてお嬢様はベックフォードさんと一緒になるためなら、いくらでも貴族の身分を捨てて冒険者や傭兵として働く道を選ぶだろうと。実際にお嬢様はそのために幼い頃から魔法の習得を頑張ってこられたのだから。
ベックフォードさんは外国の平民出身で、年齢もお嬢様と離れている。そして私と同じく魔力を持たない。正直、「魔道王国の貴族の結婚相手」という観点でみると、どこからどう見ても三大公爵家のご令嬢の相手として相応しい方ではなかった。せめて強烈な魔力でも持っていれば平民でもなんとかなったかもしれないが。
となると、お嬢様が彼と結ばれるために駆け落ちをして王国を離れるという未来は、決して可能性が低いものではなく、むしろ数年後に起こり得る、かなり現実味のある将来像と言っても過言ではなかった。
では私はどうすれば良いだろうか。私の望みは一つ。それは生涯お嬢様のそばで生きていくことである。
もちろんお嬢様と愛し合う恋人同士の関係で生涯寄り添えたら理想的だったとは思うが、それがおそらく叶わぬ夢だということは、ベックフォードさんの登場でよく理解できた。
だとしても、一生お嬢様のそばで生きていくという望みだけは絶対に諦められない。それはもはや「望み」ではなく、私の存在意義そのものなのだから。お嬢様のいない「灰色の世界」や「平穏な日常」など、もう私には耐えられない。
そこまで考えた私は、お嬢様に対して「私もベックフォードさんから剣術を学ばせてはもらえないか」と相談した。ベックフォードさんのためにお嬢様が冒険者になるのなら、私はお嬢様のために冒険者になって同行すれば良い。シンプルな話だった。
でもお嬢様への切り出し方を間違えたようで、お嬢様を顔面蒼白にさせてしまった。…私としてはお嬢様以外の方に恋愛感情を抱くことは想像さえできないことだったので、ベックフォードさんを選んだ理由からちゃんと説明しないと誤解を受ける可能性があることに全く気付かなかった。
ちなみに剣術の指導をベックフォードさんにお願いしようと思った理由は、本当はお嬢様にご説明したもの以外にもあった。
もちろん、彼の剣術が実戦向きで、また暇を持て余している彼が自分の存在意義を疑っていたというのも嘘の理由ではなかったが、本音を言うと、もっと近くで彼のことをよく観察して理解したいという気持ちがあった。
彼のどこがお嬢様をあそこまで惹きつけているのか。お嬢様があれほど惚れ込む要素はどこにあるのか。そこを理解して取り入れれば、もしかしたらお嬢様は振り向いてくれるかもしれない。そういう打算があった。…今のところ「謙虚で誠実」というところ以外はこれといって見つけられていないけど。
…先ほどお嬢様の恋人になるのが叶わぬ夢と言ったが、正直、理解はできても諦めたくはなかった。たぶん一生諦められないと思う。
そうだ、このままベックフォードさんと仲良くなれば、将来ベックフォードさんとお嬢様がご結婚されても、私のことを「お嬢様の妾か愛人」として認めてくれるかもしれない。よし、それを目指して媚を売ってみるか…?
……そんなわけないか。一旦落ち着こう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
昨日、珍しく実家からの連絡があった。どうやら男爵が業務中に重傷を負って危篤な状態らしい。全く興味がないので「お見舞い申し上げます」の手紙だけ出しておこうと思う。でもその連絡で、面白い事実を思い出した。
彼が重傷を負った業務とは、辺境に現れた大規模な魔物の群れの討伐任務。しかも大活躍した後、部下をかばってケガを負ったらしい。どこの正義のヒーローだよ。…いや違うな、たぶんその「かばった部下」は若い女だな、きっと。
そういえばそうだった。アダム・キャスカート男爵。『シューティングスター』の異名をとる魔道王国No.1のソードマスター。微弱な魔力しか持たないにもかかわらず、その圧倒的な剣術だけで王国軍の主力の一人にまで登り詰めた剣の達人。
片田舎の男爵が5人も6人も妾をとったり、毎日のように豪遊したりして暮らせていたのは、絶えず武勲を立ててそれに見合う収入を得ていたから。
そういえば私、この国で一番強い剣士の娘だった。私に剣の才能があるとすれば、きっと男爵から受け継いだものなんだろう。男爵が剣の達人だったのも、私と血がつながっていたのもちょっと忘れてた。…「ちょっと忘れちゃう」ところもそっくりだね。さすが親子。
私、男爵に感謝しないといけないな。彼の気まぐれのおかげでお嬢様と出会えて、彼から受け継いだ才能のおかげでお嬢様のそばで生きていくためのスキルをスムーズに身につけられているんだから。
よし、感謝の気持ちを込めて「お見舞い申し上げます」の手紙には「くれるつもりもないだろうけど、遺産は相続放棄します」といった趣旨の一文も入れておこう。
……あれ?まだ死ぬと決まったわけじゃないから失礼かな?
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