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14話 忘れられていた少女

アイリーン視点です

 私の名前はアイリーン・キャスカート。18歳。職業はメイドで職場兼住処はローズデール公爵家。そのローズデール公爵家の遠戚にあたるキャスカート男爵の三女として生まれた。


 父にあたる男爵は若い頃から生粋の遊び人で、私にはわかっているだけでも5人の異なる母親から産まれた6人の兄弟姉妹がいた。


 私も正妻の子ではなく、男爵がメイドだった母に気まぐれで手を出して産ませた子供だった。ただ、男爵は正妻の子も妾の子も全く区別・差別をしない人物だった。彼が子供を可愛がるかどうかの基準は非常に明確で、それは魔力の強さと魔法の実力のみだった。


 男爵は、魔道王国の貴族の間では比較的一般的な考え方――強い魔力には絶対的な価値があるというものを異常なまでに強く信奉している人間だった。それはもしかすると、本人の魔力が微弱であることに対するコンプレックスからくる反動だったかもしれない。


 ただ、この国で強い魔力を持つ貴族子女は、それだけで結婚相手としての価値がグンと上がるので、男爵はある意味現実的で合理的な考え方を持っていたと評価できるかもしれない。


 もちろん、自分を含む7人兄弟で、唯一魔力を全く持たない(正確には魔力を認識できない)私にとってはこれ以上なく都合の悪い考え方だったが。


 ということで、男爵にとって私はいないも同然の存在だった。男爵から虐待を受けたことは一度もない。何せ顔を合わせたこと自体がほとんどないのだから。


 母が生きている間は母と二人で、使用人用の別館で静かに暮らしていた。穏やかな普通の母子家庭だったと思う。


 たまに思い出したかのように兄弟姉妹がいじめや嫌がらせはしてきた。


 でもそれはおそらく、彼らにとって私が理由もなく虫を踏み殺す、子供の気まぐれな残虐性を向けるのにちょうど良い実験体だったり、ギスギス&ドロドロ状態の本宅で溜めたストレスを発散するためのちょうど良いサンドバッグだったりしただけだと思う。


 だからほとんどは単発的なもので、執拗に続いたものはなかった。


 病弱だった母が11歳で亡くなってからも、私の唯一の話し相手で心の拠り所が消えてしまった点を除き、キャスカート男爵家は平常運転だった。


 むしろ私をいじめていた兄弟姉妹は年長の者から一人ずつ魔道学園に入学し、そうでなくても私に対する興味を失い、私の日常は前よりも平穏になった。


 ただ、その平穏な私の日常は、いわば「ただ生きているだけ」。ほとんどの日を誰とも会わず、誰とも喋らず過ごした。衣食住に困ることはなかったが、生きる意味を見出すことは残念ながらできなかった。私のこの「平穏な日常」は約3年続いた。

 

 14歳のある日、男爵からの呼び出しがあった。呼び出しの理由は私の進路。


『ごめん、ちょっと忘れてたけど、君は魔道学園に行かないんだからこれからどうするか決めないといけないと思ってさ』


 人懐っこい笑みを浮かべながらそう言ってきた男爵から、二つの選択肢を提示された。一つは60代の老貴族の後妻におさまること。二つは遠戚のローズデール公爵家で住み込みのメイドとして働くこと。


『たぶん楽なのはこっちだと思う。ローズデール公爵のところはなんか厳しいところに配属されるらしいんだよね。あ、もちろん、もう男とかいるんだったら今夜にでも適当に出てってもらってもいいよ。どうする?』


 男爵はまるで「今日の夕飯何にする?」といったレベルの気軽さで、私の今後の人生が決まる選択をその場で行うことを要求していた。


 話を聞きながら、たぶん彼が「ちょっと忘れてた」のは「私が魔道学園に行かない」という事実ではなく、「私の存在」だろうな、とぼんやり思っていたのを覚えている。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 私はローズデール家で働く道を選んだ。男爵の返事は「あ、そっち?OK。じゃ、手配しとくから、今週中に荷物まとめといてね」という、相変わらず気楽で陽気なものだった。


 ローズデール家で私が配属された「厳しいところ」は、公爵家のご令嬢、チェルシーお嬢様の専属メイドというポジションだった。


 どうやら彼女は甘やかされて育った大変我儘なお嬢様で、しかもかなり攻撃的な方向性でその我儘さを発揮するため、すでに複数人のメイドを辞めさせているという話だった。


 最初の一週間は確かに噂通りの方だった。いじめや嫌がらせに十分な耐性を持っていた私にとってはそこまで苦ではなかったものの、普通の環境で育った女の子がこのお嬢様に仕えるのは厳しかったんだろうなと思った。


 「8歳の子供がこんなに痛いビンタを張れるんだ」ってなぜか感心しちゃったのも覚えている。きっと張り慣れていたんだろうな。


 しかし、私が屋敷に来て1週間で状況は激変した。原因不明の高熱を出して2日も寝込んでしまったお嬢様は、その後熱は下がったものの、高熱の後遺症で記憶障害を発症した。そして記憶障害との関連性は不明だが、回復後のお嬢様は性格が大幅に変わっていた。


『ごめん、気にしないで。わかりました。大人しくベッドで待ってます。ありがとう』

『今まで本当にごめんなさい。これからは態度を改めますので、どうかこれからもよろしくお願いします』

『驚かせてごめんね。ちゃんと謝っておきたくて』

『ありがとう。不束者ですが、どうぞ末永くよろしくお願いします』


 お嬢様の熱が下がった日のことは今でも覚えている。正直、途中から熱を出したのは実はお嬢様ではなくて私で、自分は幻覚や夢を見ているんじゃないかと思った。


 そしてその日、お嬢様はその小さな体で私のことを抱きしめてくれた。私の記憶に残っている限り、私を抱きしめてくれた人はお嬢様が二人目で、亡くなった母以外では彼女が初めてだった。


 その日以来、お嬢様はなぜか目に見えて私のことを優遇し、贔屓し始めた。他の使用人に対しても我儘は一切言わなくなっていたが、私に対する扱いは明らかに他とは一線を画していた。


 何せご家族に対しても割とドライで事務的な態度をとるようになったお嬢様が、私にだけは常に弾けるような笑顔で、まるで大好きな姉を慕う妹のように甘えてくるのだ。


 どれくらいの優遇や贔屓をいただいていたかというと、屋敷の内外で「チェルシーお嬢様は体調を崩してからご自身の専属メイド以外は誰にも心を開かなくなった」という噂が出回るほどだった。


 …いや、噂と呼ぶには割と事実に基づいた話だったので「内部情報がリークされた」という表現が正しいかもしれない。


 私自身も贔屓をしていただいている理由が全く分からなかったので、お嬢様本人に思い切って質問してみた。「なぜ私だけをそんなに可愛がってくださるのですか」と。


 お嬢様は一瞬回答に困ったような表情を浮かべたが、その後「特に理由はない。ただアイリーンのことが大好きだから」と答えてくれた。


 その時が、私が母以外の人間から初めて「大好き」と言われた瞬間だった。


 御礼のついでに特に深い意味もなく「母以外の人から初めて大好きと言われた」ことをお嬢様に伝えたところ、驚いた顔をされたお嬢様はそれ以降、何の脈略もなく頻繁に「大好き」と言ってくださるようになった。


 そんな日々がしばらく続き、お嬢様が私だけを優遇するのが面白くないと思った使用人がいたのか、いつの間にか屋敷では「私がお嬢様に呪いをかけ、洗脳したのではないか」という噂が流れた。その噂が原因で、私は使用人たちの間で少し孤立することになった。


 他人からの悪意に慣れている私は特になんとも思わなかった。呪いがかけられる=呪術系の魔法が使える=魔力を持っているということだから、「もしそうだったら私はここに来てないけどね」と呟きながら苦笑いはしたけど。


 でもどこからかその噂を聞きつけたお嬢様は顔が真っ赤になるほど激怒し、数日後、噂を広めた張本人を吊し上げて自主退職させてしまった。


 その後、なぜか他の複数人の使用人から謝罪を受けたことを覚えている。こっちは本気でなんとも思っていなかったので逆に謝罪に戸惑ってしまったけど。


 この事件がきっかけで私は変わった。というか思い出した。「今回は許してあげるけど、次、また困っていることを私に相談してくれなかったら今度こそ私は修道院に行く」と宣言するお嬢様の姿を見て、自分の心の中にあった大きくて重い何かが溶けてなくなる感じがした。


 気がつけば、私は自分も知らないうちに自分からお嬢様を抱きしめて涙を流していた。母を亡くしてから自分が涙の流し方を忘れていたことにその瞬間気が付いた。涙と一緒に世界を覆っていた灰色の膜が溶け落ちて、私の世界に色が戻っていた。


 思えば、それまで母以外の人から善意や好意を受けたことがほとんどない私は、お嬢様が向けてくださる好意をどう受け止めて処理すれば良いかが分かっていなかった。というよりも、他人の善意や好意とはどのようなものかということ自体、忘れてしまっていた。


 私を守りたいと思ってくれる、私のために怒ってくれる、私の力になりたいと思ってくれる、私のことが好きと言ってくれる。私に笑顔を向けてくれる。「…そうだった、善意とか好意ってこういうものだったよね」ということを、私はその日やっと思い出すことができた。


 そして今までほとんどのスペースを占領していた「大きくて重い何か」がなくなって空っぽになった私の心の中は、それまでに蓄積されていたお嬢様に対する「好意と善意」で一瞬にして埋め尽くされた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 お嬢様は予知能力を持っていた。高熱を出された8歳の時にその予知能力が発動し、極めて限定的な範囲ではあるものの、予知夢を見られたとのことだった。お嬢様からその話を聞いた瞬間、私の中の長年の疑問が三つ解決された。


 一つ目は熱が下がってから急激にお嬢様の性格が変わられたところ。その変化は記憶障害だけではなく、予知夢、それも近い将来に命の危機に直面する内容の予知夢を見たことが強く影響したのだろうなと思った。


 もしかしたらお嬢様は、夢で見た「殺されそうになる未来」を変えるために行動を改めようと考えたのかもしれない。


 二つ目は、これは完全に推測の枠を出ないが、私のことを優遇・贔屓してくださるようになった理由である。


 お嬢様はその辺のことは何もおっしゃっていなかったが、もしかしたら予知夢の中の私は他の使用人や、場合によってはご家族よりもお嬢様にとって好ましい行動をとった人物だったのかもしれない。もしそうだとしたら……夢の中の私、よくやった。


 三つ目は、お嬢様がたまに寝言で名前を呼ぶ「メイソン」という人物の正体。お嬢様の言葉によるとその人は夢の中でお嬢様の命を救ったうえで、お嬢様と結ばれる彼女の「運命の人」らしい。


 そして彼は冒険者で、お嬢様が幼い頃から魔法を頑張ってこられたのも、いつかその方と一緒になるための努力だったとのことだった。


 お嬢様が婚約の話をすべて断っているのも、もちろんその「運命の人」と結ばれるためだった。お嬢様の言葉からは、夢の中で出会えた「運命の人」に対する深い好意と愛情がにじみ出ていた。


 もちろん、お嬢様には私にも好意や愛情を向けてくださるが、彼に対する好意や愛情が私に対するそれとは違う種類のものであることは、私にも伝わってきていた。


 ……妬けちゃうな。お嬢様がすべての婚約話を即刻断るものだから、いつの間にかお嬢様と私が実は同性カップルではないかという噂が流れて、正直とても嬉しかったのに。可能性が低いことを知っていながらも、本当にそうなってほしいと心から願っていたのに。


 一応誤解が生じないように弁解しておくと、決して私が自ら噂を流して自作自演をしていたわけではない。…いや本当に。


 お嬢様の予知能力が判明したのは、焦ったお嬢様がもっとも信頼する私とシルヴィア様にどうすれば良いかを相談してきたことがきっかけだった。


 お嬢様は何を焦っていたか?それはお嬢様の「運命の人」が、早急に探し出して屋敷に連行しないと他の女性と結ばれる可能性があるというものだった。


 そのことを聞いた私は、「放っておくと他の女と結ばれるような男が本当に「運命の人」なんですか。ただの浮気者じゃないですか。私なら絶対にそんなことはしませんよ、私にしときませんか」って、興奮して心の中で叫びまくっていた。


 そしてシルヴィア様も「……ねえ、チェルシーさん、あなたの「運命の人」ってやっぱりアイリーンさんじゃありませんの?」と素敵なことをおっしゃっていた。


 やっぱりどう考えてもそうですよね。シルヴィア様、それお嬢様にもっと言ってやってください。

今からでも遅くないからキーワードに「ガールズラブ」入れてそっちに路線変更しろ、と思った方は☆での評価をお願いします。

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― 新着の感想 ―
ビンタ張りなれてるってなんやねんw
[良い点] アイリーンさんが可愛くて大好きです!お嬢様とメイソン君の事も応援してるんですが、つい運命の人がアイリーンさんだったら良いなって思ってしまいました(*ˊ˘ˋ*)これからも応援してます!
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