黒陽に柘榴の福音を
【ご注意】
何かを抉り出したりなどの表現があります。
ごく微ですがスプラッタです。少しでもそういった表現が苦手な方はご注意下さい。
黒陽に柘榴の福音を
きらい。
うるさい。
ぜんぶ、じゃま。
サラフォレット。今代の黒陽にして城めいた屋敷の令息の幼い面影の強い少年は、自室の長椅子の上で白く丸いものを無言で磨き続けていた。
滑らかな手触りにささくれ立った心が落ち着いていく。
朝焼けの薔薇色を一滴落とし混ぜた金髪は長く、深く吸い込まれそうな藍色の瞳に儚い雰囲気は少女めいてもいた。
ここ数日、両親から紹介される『友人候補』はどれもこれも顔すら覚える気の起きない相手ばかり。
好きな事をする時間すら削られ、強制的に会わせられるだけでも不快で苦痛なのに、会ってみれば顔を覚える価値もない相手ばかりとなればサラの心情も当然と言えば当然だった。
螺旋世界の第六階層は常夜の世界。深い深い夜が横たわり、朝も昼も顔を出すのはほんの僅か。やや空が薄く白くなったかくらい。
だからこの階層では魔力を秘めた魔石灯の光が途絶える時間帯はない。
「ここがサラの部屋だ」
光に透ける白い髪と褐色の肌。最高級の紅玉を嵌め込んだような赤い瞳の少年は、淡く笑みを浮かべている。
「それではよろしく頼む」
「はい」
声はその見た目と違わず華やかさを持ち、どこか妖しい色香すら漂わせていた。
案内した男性はこの部屋の少年の父親である。そろそろ息子に友人を作らせようと、社交の場に連れたり他の家に訪問したりしたのだが、誰も息子と合わなかった様子。
それだけならまだしも、ついに息子が我慢の限界だと言うように部屋から出てこなくなった。
貴族でも庶民でも引きこもりは引きこもりである。
何とか連れ出そうとしている内に、本格的に機嫌を損ねたらしく部屋に結界まで張られてしまった。
普通なら子供の張った結界程度、造作もなく破れるものなのだが、樫材の立派な両開きの扉が設えられた部屋の主はこの世界でトップクラスの魔力を有する黒陽である。
どうにかこうにか交渉し、部屋の主が許可した者の出入りは出来るように『してもらった』くらい実力は差を持っている。
連れ出すのは無理だが、少なくとも一度の訪問は許可された。
案内された少年、シェルディナードは記念すべきこの部屋に引きこもってから最初の……生け贄。
扉をノックをして、部屋に足を踏み入れる。
ローテーブルとそれに合わせたソファーに大きな窓。隅々まで灯りが照らすそこには誰もいない。
一口に部屋と言っても風呂もトイレも別途の部屋がくっついているので、もはや自室『エリア』と呼べるのではないだろうか。
「サラフォレット様。お父上から紹介をたまわりました、シェルディナード・シアンレード・メラフと申します。そちらにお伺いしても宜しいでしょうか?」
シェルディナードはそう声を掛けて、待った。
どれくらいそうしていたか、部屋の幾つかあるドアのうち、一つが音もなく僅かに開く。
「ありがとうございます。失礼致します」
ドアの方へと進み、足を踏み入れる。静かにドアを締めて改めて見たそこは工房と言えるものだった。
壁に、天井からも、白い大小様々なパーツが下げられ、陶芸でもするかのような窯がある。
二つある長椅子の一つに少女と見紛うような部屋の主が、丸に近い白いものを磨いていた。
「こちら、座って見ていても良いでしょうか?」
シェルディナードの問いかけに、部屋の主はそちらを見ることもしなかったが、小さく頷く。
許しを得て、シェルディナードは静かに空いている方の長椅子に腰掛け、その様子を見守った。
丸いそれは、どうやら人形の頭部のようだ。素材は陶磁器のようにも見えるが、滑らかでややミルク色がかっている。
話をするでもなく、互いに沈黙したまま時間は過ぎて、幾度目かの鐘が鳴ってシェルディナードは立ち上がった。
「ありがとうございました。面白かったです。本日はこれにて失礼致します」
立ち去ろうと踵を返したその背に、声が掛かる。
「……だい」
足を止め、振り返った。
声を掛けても、シェルディナードを見ずに部屋の主は人形の頭部を確かめるように見つめていて。
「申し訳ありません。もう一度お願いできますか?」
「片目、ちょうだい」
スッとシェルディナードの方へ片手のひらが差し出される。
けれどその視線がシェルディナードの方を見ることはない。
「わかりました。ちょっと床と御手を汚すかも知れませんが、良いですか?」
コクりと部屋の主が頷いたのを確認して、シェルディナードは自身の片目に指を食い込ませ、取り出した。
部屋に鉄臭い臭いと液体の滴る音が広がる。
「どうぞ」
取り出した眼球を差し出された手のひらに載せて、シェルディナードはそう言った。
◆ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◆
無視していれば、すぐに帰ると思った。
けれど、自分の作業を邪魔するでもなく、許可を貰うまでそこから動く様子もない。
邪魔にならないなら、父の顔を立てるくらいしても良いと思って、作業場に招き入れる。
ここでもやっぱり、邪魔はしてこなかった。
話し掛けることもなく、けれど視線だけは感じる。
邪魔じゃない。けど、よくわからない。
落ち着かないという事はないけど、まるっきり独りの時とも違う。
居心地が悪いとも良いとも言えない。
少しだけ、視界の端に新しい『友人候補』の姿が映る。
一瞬にも満たない刹那。印象に残ったのは赤い色。
その色が、何故か頭に残る。
(赤い瞳……)
手にした人形の顔を見る。今は空虚な眼窩にあの赤い瞳を嵌め込んだら、綺麗かも知れない。
そう、思った。だから、
「片目、ちょうだい」
差し出すわけないと。別に逃げても良い。それならそれで、もう二度と来ないだろう。
けれどそのどれもが裏切られる。
「どうぞ」
手のひらの上に、温かく濡れる感触があった。
赤い、瞳が一つ。
顔を上げる。
「また来ても良いですか?」
欠けた眼窩から一筋流れる赤いもの。それをものともせず、新しい『友人候補』は笑ってそう言ってくる。
また、来る?
「明日、も?」
「じゃあ明日も」
明日も来る気か聞こうとしただけなのに。
面白くない。
「…………明日は、もう一方も、ちょうだい」
「わかりました」
来るわけ無い。だって、もう一方も無くしたら何も見られなくなる。
来るはずか無い。……はずだった。
「こんにちは」
「…………」
次の日、同じ時間。『彼』は来た。
昨日、抉ったはずの片目は、元通りになっていた。
「はい。お約束の、もう片方」
見ている前で、もう一方も取り出して差し出してくる。
「…………」
「どうしました?」
「…………元通り?」
「ああ。父がリッチで、母が女食人鬼。ハーフなんですよ」
だから欠損くらいでは死なないし、しっかり栄養を取れば元通り。そう笑って、自らの眼球を差し出して。
受け取ったそれはやはり温かくて、鉄臭くて、綺麗だと思ったのに、自分の手の中にあるそれは何故か色褪せて見えた。
変わらずその日も二人でそれ以上会話もせず過ごし、また来ると『彼』が言って去っていった。
「……なんで、綺麗じゃないんだろう?」
もらった瞳は二つとも形が崩れないよう、腐らないよう処理をした。人形に嵌め込んでみたけれど、あの時に感じた綺麗さが出ない。
どうしてだろう?
わからないと言えば、どうして『彼』は来るのを止めないのだろう?
あれから何度も、瞳以外に指や片腕、綺麗と思ったものをちょうだいと言った。その度、躊躇うこと無く全て差し出すのだ。
「…………痛み、感じない、の?」
「いえ。普通に凄く痛いですけど?」
再生速度が早いだけで、痛覚は普通にあるのだと言う。ならば何故?
「え。だって、欲しいんでしょ?」
「うん」
「お邪魔してるの、こちらですし」
「…………」
部屋の主、サラはもう馴染みの来訪者である『彼』を、改めて視界に映す。
白い髪、褐色の肌に綺麗と感じた赤い瞳。やっぱり綺麗と感じた。
にっこりと無邪気に笑って、『彼』は言う。
「ずっとやりたいこと、我慢して、頑張って」
「…………」
「なのに嫌な事されたり、全然我慢してる方の都合考えない奴の相手ばかりしたら、そりゃ嫌になるのは当たり前じゃないですか」
「……………………」
「だから、わた……俺は、あなたが嫌ならもう来ない。来て良いって言ってくれるなら、せめて邪魔はしない。滞在の対価を求められるなら、応じる。それがお邪魔してる側の、せめてものマナーでしょ?」
ニッと悪戯っぽく笑って、『彼』は首を傾げて見せる。
「………………………………望めば、くれるの?」
「俺ので良ければ」
「じゃあ」
サラは真っ直ぐに、『彼』を見た。
「心臓、ちょうだい」
工房の床を染める真紅。
錆びたような鉄臭。
サラの両手が、動きを止めた心臓を持っている。
「うわ、流石にキツかったぁ~。……で、満足しました?」
真紅の溜まりに座り込むのは、胸元を同じ色で染めた『彼』だ。
心臓をちょうだい。その言葉通りに、『彼』は自らの心臓を抉り出して、サラに渡した。
流石にキツいという言葉に嘘はなく、しばらく自らの血溜まりに倒れ込んでいたが、今はその胸元に傷一つ無い。
サラは手にした『彼』の心臓を見つめ、やがて顔を上げる。
「……名前」
既に一度は聴いたはず。
しかし、覚えていない。
一度名乗ったのを覚えられていなかったにも関わらず、『彼』は笑って言う。
「シェルディナード。シェルディナード・シアンレード・メラフですよ。サラフォレット様」
「ん。じゃあ、ルーちゃん」
サラはそう言って、小さく笑みを浮かべる。
「サラで、良い、よ。あと、言葉も、気にしないで」
「そ? んじゃ、サラ」
「ふふ……。ルーちゃん、明日も、来る?」
「サラが来て良いって言うなら」
「じゃあ、来て」
「オッケー。明日も来るわ」
サラは手にした心臓をそっと撫でる。
赤い瞳は手にした途端に輝きを失った。
当たり前だ。
何故なら、
(ルーちゃん、だから、綺麗……)
どんなものも、パーツが良かったわけじゃない。
(本当に、欲しかったのは……)
目の前で笑う『親友』を見つめる。
どんなに言っても、両親さえわかってくれなかった。
勝手な都合ばかり押し付けられるのも、嫌だった。
「ルーちゃん、ごめんね……痛かった?」
「はは。平気平気。もう治ったし」
常夜の世界で、親友は明るく笑う。
初めてわかってくれた。
わかった上で、側に居てくれた。
「ルーちゃん」
「ん?」
「大好き」
サラは初めて笑顔を浮かべ、そう言った。
黒陽に友人が出来た事は間もなく知れ渡り、自分もと来るものもいたが、シェルディナード以外には誰も残らなかったという。
「サラこんな良い奴なのにな?」
「なんで、だろ?」
不思議そうに顔を見合わせる二人だったが、やがてサラへの友人申し込みは途絶え、二人も気にしなくなった。
黒陽の隣には、柘榴しか生きられない。
そんな言葉が密かに囁かれるようになるのはその直ぐ後の事だった。
終