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異世界八景  作者: 楠羽毛
夢の世界
88/206

 朱里はとっさに身をひるがえして、食堂へとびこんだ。先ほどまでいた部屋のすべてが、どろりと溶けて、青白い粘液となって波打っている。

 食堂の出口から、蠕動しながらあふれ出てくる。

 巨大ななめくじのようだ。

「熱ッ!」

 足先に、鋭い痛み。

 急いで距離をとりながら、右足を力まかせに振る。ブーツの爪先に、粘液のかけらがへばりついている。革の焦げるにおいと、煙。

 やっとの思いでブーツを脱ぎ捨て、放り投げる。

 その間に、粘液はどんどんこちらに迫ってきている。テーブルの端はもう飲み込まれて、半透明の体内でぐずぐずに砕かれてしまった。

「ええと、えーと、あーっと」

 呼吸を整える。もとより乱れていないが。

 スライムには、火。

 セオリーを思い出して、右手でテーブルをさぐる。燭台があったはずだ。

 そうしている間にも、スライムが触手を伸ばしてくる。

「どーしてそんなに伸びるの!?」

 食堂の出口から、しゅるりと直線状に5メートルほど伸びて、あきらかにこちらを狙ってきている。

 速い。

 迷宮のスライムとは、根本的に違うのかもしれない。ともかく、避ける。燭台をつかみとりながら、後ろ向きに走るようにして、距離をとる。

 その間にも、スライムの本体は、食堂を飲み込んでいく。

 朱里は槍のように燭台をかまえて、スライムに正対した。

 あきらかに意思をもって、うずまくように蠢いて、触手がこちらい伸びてくる。二本、いや三本。

 燭台の槍を一度ひいて、横あいから炎を触手におしつける。

 触手は、かまわず、尖塔のようにとがってこちらに突っ込んでくる。

 避ける。

 避けきれない。鎧の脇腹が、じゅっと音をたてる。

(燃えない──!?)

 迷宮のスライムとは、根本的に違うのか。

 いや……、

(そうじゃない。この燭台は熱くないんだ。これ、火じゃない)

 魔法か、錬金術か、もっと別のなにかか。わからないが、これは偽物の火だ。

 考えているうちに、つきだした燭台の先に、触手がからみつく。

 朱里は、燭台から手をはなして駆け出した。一度だけふりむいた視界のはしに、粘液にとりこまれた燭台が、こうこうと炎をあげて光っているのがみえた。



 破裂音。

 食堂の壁が砕ける音だ。

 加速度的に膨張する粘液が、館の一階を飲み込んでいく。

 朱里はマントをひるがえして走った。横目に、玄関の扉をみる。駄目だ。もう粘液が押し寄せている。窓、それから階段。選択の余地はなかった。階段はすぐ目の前で、窓はもう、どこにあるのかもわからない。

 片足だけブーツを脱いだことを後悔しながら、階段を走る。

 廊下。窓はある。そこから飛び出すか。考えているうちに、館全体に振動が走る。まさか、崩れるのか。

 一瞬の躊躇のすきに、背後に水音がせまる。

(もう二階まで!?)

 走る。窓を破るべきかと迷う。迷いながら、走る。もう間に合わない。

 廊下のどんづまり、ドアの前で立ち止まる。ノブをまわす。開かない。

 両脇の窓はもう、粘液に飲まれている。朱里は迷わず、右肩を前につきだして思いきり体当たりした。分厚い一枚板が悲鳴をあげ、次の瞬間、割れる。


 そこには、奇妙なものがあった。

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