火
朱里はとっさに身をひるがえして、食堂へとびこんだ。先ほどまでいた部屋のすべてが、どろりと溶けて、青白い粘液となって波打っている。
食堂の出口から、蠕動しながらあふれ出てくる。
巨大ななめくじのようだ。
「熱ッ!」
足先に、鋭い痛み。
急いで距離をとりながら、右足を力まかせに振る。ブーツの爪先に、粘液のかけらがへばりついている。革の焦げるにおいと、煙。
やっとの思いでブーツを脱ぎ捨て、放り投げる。
その間に、粘液はどんどんこちらに迫ってきている。テーブルの端はもう飲み込まれて、半透明の体内でぐずぐずに砕かれてしまった。
「ええと、えーと、あーっと」
呼吸を整える。もとより乱れていないが。
スライムには、火。
セオリーを思い出して、右手でテーブルをさぐる。燭台があったはずだ。
そうしている間にも、スライムが触手を伸ばしてくる。
「どーしてそんなに伸びるの!?」
食堂の出口から、しゅるりと直線状に5メートルほど伸びて、あきらかにこちらを狙ってきている。
速い。
迷宮のスライムとは、根本的に違うのかもしれない。ともかく、避ける。燭台をつかみとりながら、後ろ向きに走るようにして、距離をとる。
その間にも、スライムの本体は、食堂を飲み込んでいく。
朱里は槍のように燭台をかまえて、スライムに正対した。
あきらかに意思をもって、うずまくように蠢いて、触手がこちらい伸びてくる。二本、いや三本。
燭台の槍を一度ひいて、横あいから炎を触手におしつける。
触手は、かまわず、尖塔のようにとがってこちらに突っ込んでくる。
避ける。
避けきれない。鎧の脇腹が、じゅっと音をたてる。
(燃えない──!?)
迷宮のスライムとは、根本的に違うのか。
いや……、
(そうじゃない。この燭台は熱くないんだ。これ、火じゃない)
魔法か、錬金術か、もっと別のなにかか。わからないが、これは偽物の火だ。
考えているうちに、つきだした燭台の先に、触手がからみつく。
朱里は、燭台から手をはなして駆け出した。一度だけふりむいた視界のはしに、粘液にとりこまれた燭台が、こうこうと炎をあげて光っているのがみえた。
*
破裂音。
食堂の壁が砕ける音だ。
加速度的に膨張する粘液が、館の一階を飲み込んでいく。
朱里はマントをひるがえして走った。横目に、玄関の扉をみる。駄目だ。もう粘液が押し寄せている。窓、それから階段。選択の余地はなかった。階段はすぐ目の前で、窓はもう、どこにあるのかもわからない。
片足だけブーツを脱いだことを後悔しながら、階段を走る。
廊下。窓はある。そこから飛び出すか。考えているうちに、館全体に振動が走る。まさか、崩れるのか。
一瞬の躊躇のすきに、背後に水音がせまる。
(もう二階まで!?)
走る。窓を破るべきかと迷う。迷いながら、走る。もう間に合わない。
廊下のどんづまり、ドアの前で立ち止まる。ノブをまわす。開かない。
両脇の窓はもう、粘液に飲まれている。朱里は迷わず、右肩を前につきだして思いきり体当たりした。分厚い一枚板が悲鳴をあげ、次の瞬間、割れる。
そこには、奇妙なものがあった。




