伯爵
その男が、宮廷にあらわれたのは、およそ百年ほども前だといわれている。
でっぷりと太った、銀髪の男。国交のない西方国家の王族が、政争のあおりで国を追われたというふれこみで。郊外に住居をかまえ、何をどうしたものか王も知らぬまに王妃やその姉妹たちと知り合い、あやしげな手妻を使ってみせたり、西方の霊薬をこっそり彼女らに渡して歓心を得た。宮廷の男たちが彼の存在を知ったときには、女たちは、すっかりこの男のとりこだった。
やがて、かれは錬金術と称して、鉄を金にかえたり、とかげの頭を増やしたりする術を披露するようになった。魔女の怒りを買うという者もいたが、そんな人間も、かれの屋敷に招かれて、不思議な術や秘宝の数々を目にすると、すぐに意見をかえてしまった。
かれはとても裕福だったが、どこから収入を得ているのか誰も知らなかった。商売をしている様子はなかったし、領地もない。かれから薬やふしぎな生き物をもらったという者は大勢いたが、代金を請求された者はいなかった。
やがて、かれは伯爵と名乗るようになった。正式な爵位ではなかったが、それを指摘するものはもう誰もいなかった。
*
「……それが、どうしたのです。」
ルナは、きょとんと首をかしげて、
「急に、そんな昔話を。」
「昔話じゃないよ。」
「だって、百年も前の話でしょう?」
「……かれは、今も生きているよ。たぶんね。」
ルナの背筋を、ぞくりと蟲のようなものが走りぬけた。
「……怖い話なんですか? これ。」
「怪談じゃないよ。たぶんと言ったのは、かれが今まさに行方不明だからで……、つい先日まで、かれは元気に宮廷で宴会を開いていたよ。……騎士づきの女戦士と貴族の果し合いを酒の肴にしたりしながら。」
「それは……、」
「まあ、趣味が悪かったってことさ。かれは、……レバニィ伯爵だが、宮廷ではその名前でかれを呼ぶ者はほとんどいない。ただ、『かれ』とか、『あの男』とか言うだけで通じるのさ。王様みたいだろ?」
「……不敬なのではありませんか。」
「そうだね。ところで、かれが、間違いなく100年も前から宮廷に出入りしているのに、どう見ても30歳そこそこにしか見えないといったら、信じるかい?」
「信じません。そんなこと、……」
「……治癒の力は実在するのに?」
ルナはもう一度、身をふるわせた。
「前にも……そんなことを言いましたね。」
「この迷宮を見たろう? これだけのものを創る力が、この世界にはあるんだ。不老不死の人間くらい、いたって不思議はなかろう?」
「それでも……、」
ルナは膝のあいだから地面をみて、じっと考えた。
「……それでも、それは、……おかしいと思います。」
「そうだね。きみの言うとおりだ。」
アカリはあっさりと認めた。
「それでも、これは事実なんだ。……わたしは、かれは、……人間ではないとおもう。つまり……、」
「待ってください!」
ルナは大声をあげた。なぜ、この人はこんなに楽しそうに語るのか。
それでは、まるで、
まるで、私のことを言っているみたいではないか。




