コイン
花屋を出て、路地に入ってから、小さくカセイジンに話しかける。
ずっと気になっていたことだ。
「……ねえ、あの、コインみたいなものは何なの?」
「コインさ。お金だよ」
シンプルな答え。なんとなく、そうだとは思っていたが。
「でも、ここじゃ、ほとんどキャッシュレスっていうか、顔パスみたいなので……」
「そう、本来はね。デイジーに接続した認証システムがあるから、現金経済はこの国に存在しない。そういうことになってる」
カセイジンの表情がちょっと曇った。
こいつもデイジーとやらの一部なのだろうか。やけに感情豊かに見えるが。
「だけど、世の中に表と裏がある」
「どういう意味?」
「デイジーに手持ちを把握されたくない人間もいるってこと」
「それって……。ええと、たとえば脱税、とか?」
「この国に税なんてないよ」
カセイジンは口角をあげて、わらった、ように見えた。
「一般の国民はデイジーに感謝しているけど、同時に、内心では反発もしている。生活の隅々まで支配されているわけだからね。だから、ちょっとしたことでも隠したがるんだ。家族に黙って稼いだへそくりとか、異性への贈り物とか。……裏取引の収益とか。」
「裏取引、……」
突然、物騒な単語。朱里は頭をきりかえようと首を振った。現実感がない。
「違法な薬とか、武器とか……人間とか。例えばの話だけど。」
「人間って、」
「例えばだよ。そういうことも、あるってことさ。……じっさいには、普通の店でもああいうお金は扱う。客が持ってくれば、受け付けざるを得ないんだ。まとまった額を正規の財産に替えたければ、専門の金融業者もいる。あまり大っぴらな話じゃないけどね。」
「……この国にも、そういう……裏社会みたいなものが、あるのね。」
なんとなく、クラデの顔が目にうかぶ。べつに深い意味はないが。
「そうさ。だから、きみも気をつけないといけない。王族さえ、行方不明になるんだから。」
「どういうこと?」
聞き返しながら、昨夜のことを思いだす。
クラデの部屋でみた写真。王女によく似た少年の。
「シロハ王子のこと。興味あるんでしょ?」
表情を読まれたか、とあわてて口をおさえる。気をとりなおして、
「そりゃ、まあ少しは……。いいえ、ちゃんと聞かせて。」
「シロハ王子は、誘拐されたんだ。王族によからぬ感情をもつ平民のグループにね。工場地帯のはずれ、ひとけの少ない倉庫に監禁された」
「……そんなことって、あるの」
「あるさ。デイジーも完璧じゃない。王族は黒機兵が警護しているけど、命令されなければついてこないし、車より速く走れるわけじゃない……」
「車があるの!?」
「ここを何だと思ってたんだい? きみたちの世界よりずっとずっと進んだ文明国だぜ。車も、銃もある。工場の配給品には入ってないから、そのへんの人間の手には入らないけどね……」
カセイジンはちょっと皮肉げだった。
「それで? どうなったの」
「王は、シロハ王子救出の命令を下して兵を派遣した。黒機兵は派遣しなかった……」
「なぜ?」
「王がそう判断したからさ。……黒機兵はデイジーの端末で、デイジーは王族の命令に従う。王の命令だけをきくわけじゃない」
「……つまり、誘拐事件の黒幕は王族だった、ってこと?」
カセイジンは答えず、先を続けた。
「救出隊は誘拐犯たちを襲撃し、殲滅した。そのとき全員殺してしまったから、背後関係ははっきりわからない。状況証拠を洗ったけど、何もわからなかった……」
「それじゃ、王子は、……」
「王子は救出できなかった。……銃撃戦のさいに、救出隊の撃った弾で肩に大きなけがをして、そのまま逃げたらしい。死体もみつかっていない」
「それって、……」
朱里はちょっと首をふった。頭がごちゃごちゃになりそうだ。
「……おかしくない? 怪我をしたのに……」
「そう。だから、事件には黒幕がいたと言われている。……もうずっと前のことで、今となっては何もわからないけどね」
「そう……、」
きかなくてもよいことだったかもしれない。
一瞬そう思うが、すぐ、思い直す。
「……ところで、もうひとつ教えて欲しいんだけど。」
「なに?」
「さっきのコイン、あなたも見たでしょう。あれ、全部でいくらぐらいの価値があるのかな」
「さァ、白銀貨があの量だと、……たぶん、花屋のかせぎの五百年分くらいかな」
どこか、陰鬱な声音で。
朱里は、しばらく考えて、それから、いった。
「……カセイジン。案内してほしいところが、あるんだけど」
*
夕刻──
朱里は、ふたたびクラデの私室にきていた。
「……なあに、話って。」
王女は、おちついた微笑みをうかべたまま、ソファにゆったりと腰かけていた。朱里はその対面で、前のめりに座っている。
目をあわせると、吸い込まれそうな気がする。でも、今、そらすわけにはいかない。
「ダグールのことなんだけれど。」
「あら、」
クラデは目をかがやかせた。まるで無邪気な少女のように、声をはずませて、
「どんなこと?」
「……わたし、怪しいと思うの。」
王女は、ふたたび余裕ありげな笑みにもどって、にっこりと、
「あら、そう」と、相槌。
「だって……」
違和感を覚えながら、朱里は話しはじめる。むろん、確信はない。
「……コイン。とても高額なコインをみたの。花屋の収入で稼げるような金額じゃない……、」
「それから?」
「……あなたが初めてダグールに出会ったとき、かれが出てきた、つきあたりの家。あそこ、ずいぶん前から空き家だって。まるでちょっと前まで人がいたみたいに、いろんなものが置いてあったけど……」
「だから?」
「……あれは、自作自演だと思う。」
「それで?」
「ダグールは、たぶん、裏社会とつながってる。あなたに近づいたのも、なにか企みがあってかもしれない。だから……、」
クラデは、すっと手袋をした指を朱里の口先によせた。
いい香りがする。ほんのわずかで、鼻のおくまで届くような。
香水ほどあからさまでなく、化粧品のにおいとも違う。
まさか、体臭?
「アカリ、あなたはとても聡明なのね。原始人なのに。」
ひっこめた指を自分の口元によせて、クラデはいった。
「クラデ、今はそんなことを、」
呼吸が浅くなるのを感じながら、朱里はやっとそういった。
「それで、わたしがダグールを手に入れるのに、何か支障があるかしら?」
朱里は、言葉を失った。頭がぐるぐる回っているような気がする。
「……アカリ、あなたを地球へ帰す方法がみつかったわ。」
「え?」
「だから、このことはもう考えなくていい。明日の朝には準備ができるから。」
「そんな……」
「ダグールのことは、……そうね、明日にでも、お父様と話してみようかしら。だから、安心して今日は休みなさい。アカリ」
厳然とした、ほほ笑み。それ以上、朱里はなにも言えなかった。




