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異世界八景  作者: 楠羽毛
夢の世界
74/206

階下へ

 ヒュッ……!


 剣戟一閃、アカリは振り向きざまに、粘体をなかばから断ち切って、ごろごろと地面に転がった。松明は自然と手から離れて、火がついたままルナの足元に落ちてきた。

 アカリはすぐに立ち上がると、松明を拾ったルナの袖をひいて、走りだした。

 タタタタ、とふたりでしばらく駆けて、ようやく壁に背をもたせて息をつく。粘体はとっくに見えない。ゆっくりゆっくり、こちらに這ってきているようだが。

「……見てごらん。」

 アカリは、抜き身の真ん中あたりを、松明の灯に近づけてみせた。

 錆びている。刃が折れそうなほどに。

「あの粘液を斬ったせいですか。」

「そう。それに……、」

 アカリは腰をおろして、右足の踵をもちあげてみせた。

 ブーツが半分消失して、血にまみれている。

「この状態で、走ったのですか。」

「言ったろ。あまり、痛みは感じないんだ」

「そういうことでは……、」

 ルナは、あわててアカリの頬に手をやった。

「治しますよ。」やわらかく声をかけて。


 ふうわりと、あたたかい血の流れのようなものが、ふたりをつなぐ。

 それから、脈動。


「……これ、心臓の音かなあ。」

 アカリは、切れ長の目をふわりと緩めて、そうつぶやいた。

 ルナは、「ちがいます。」とだけ言って黙った。このリズムがなにから来るものなのか、実のところはルナにもわからない。つねに一定の間隔で脈動し、一拍ごとに全身に満ちていく。

 少なくとも、心臓の音でないのはたしかだ。

 だって、今、ルナの心音はひどく乱れているから。


 治療はすぐに終わった。

 ルナはさっと立ち上がった。アカリは一拍おくれて立とうとしたが、こわれたブーツのせいでバランスをくずしかけた。反射的に、ルナは手をさしだした。アカリにぎゅっと握られて、おもわず赤面する。

「……ありがとう。」

「どういたしまして!」

 ぷいと横をむいて、叫ぶ。

 アカリの屈託のない笑顔が、憎らしかった。



 ブーツは、その場に捨てていくことにした。

 折れそうな剣は、替えがないのでそのまま持っていく。

 このさき、武器なしで大丈夫なのか。ルナは不安だったが、アカリはさして心配していないようだった。

「どうせ、また手に入るさ。」

 こんな古い地下の、どこに使える剣があるというのか。

 とにかく、もう魔物が出ないといいが。

「次の階は、本格的な迷宮だ。道に迷わないように気をつけよう」

 あいかわらず軽い口調で、アカリはそう言った。


 地下2階へ。

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