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異世界八景  作者: 楠羽毛
夢の世界
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治癒

 チッ、という小さな音とともに、血しぶきがルナの頬に散った。

 アカリの血であった。

 次の瞬間、アカリの首に噛み付いていた影狼が、黒い霧となって散った。アカリが、剣の柄で叩いたのだ。そのまま手首を返して、もう一匹を刃でつらぬく。


 長剣を、まるで木の棒のように、かるがると。


 ぼとぼとと、首筋にあいた牙の穴から血を落としたまま、アカリは姿勢をひくくして、ルナの頭上に、まっすぐ剣を突き出した。

 金髪がひとすじ、はらりと落ちた。ルナは背すじを震わせた。

 影狼が、剣先につらぬかれて、また一頭、散った。



 影狼は、もうどこにもいなかった。

 ルナは、焚き火のそばに座りこんだアカリの首元に、そっと手をあてた。あたたかい血が、どろどろと流れ落ちている。右顎の下から、白い肌着のなかへ。

 やわらかい首元の肉は、まるで女のよう。

「……痛く、ありませんか。」

 言ってから、まぬけな言葉だったことに気づく。痛くないわけがない。

「ええ、大丈夫。」

 アカリは、何事もないように微笑んだ。

「痛みは、あまり感じないんだ。」

「……そう、ですか。」

 本当かもしれない、と思う。これだけ血を流しているのに、アカリは顔色ひとつ変えない。普通なら、とうに気絶していてよいころだ。

「……治します。」

 小さく、宣言する。呪文というわけではないが、いつも、こう言うことにしていた。許可を取るため、かもしれない。誰の許可かはともかく。

 じんわりと、脳から心臓へ、心臓から指先へ。爪と肌のあいだから、なにかが這い出してくるのがわかる。治癒の力、オーラ、呪力、何とでも。

 指先から出た力は、直接、首筋に注がれるのではなく、一度、あいての脳に入りこんで、線をつなぐ。それから、脳と体をつなぐ線をとおって、全身へ。十分に躰を力で満たしてから、ようやく、傷口に集まりはじめる。


 脳と脳がつながった瞬間の感覚は、なんとも説明しがたい。


 相手も、同じことを感じるらしい。信者のなかには、恍惚として失神してしまった者もいる。村にいたころは、病を治してやった男に勘違いされたことも、一度や二度ではない。

 きぃんと、頭痛のような快感のような、ねじれた感覚が前頭部で凝っていく。視界がゆがむ。それから、

 アカリの痛みと、自分の指が触れる首筋の感覚が、少しだけ流れ込んで来る。


 ……これだから、治療は嫌なのだ。


 眉をしかめる。特に、男の脳に触れたときは、なんともいえない違和感が残る。全身が、むりやり作り変えられたような。

 ようやく、つながった。

 ルナは首をかしげる。感覚が、思っていたのと違う。ふんわりと、暖かいような。

 ともかく、悪くない。


 力の流れに身を委ねて、ルナはそっと目を閉じた。

 治癒の最中にこんな気持ちになるのは、ほとんど初めてのことだった。

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