治癒
チッ、という小さな音とともに、血しぶきがルナの頬に散った。
アカリの血であった。
次の瞬間、アカリの首に噛み付いていた影狼が、黒い霧となって散った。アカリが、剣の柄で叩いたのだ。そのまま手首を返して、もう一匹を刃でつらぬく。
長剣を、まるで木の棒のように、かるがると。
ぼとぼとと、首筋にあいた牙の穴から血を落としたまま、アカリは姿勢をひくくして、ルナの頭上に、まっすぐ剣を突き出した。
金髪がひとすじ、はらりと落ちた。ルナは背すじを震わせた。
影狼が、剣先につらぬかれて、また一頭、散った。
*
影狼は、もうどこにもいなかった。
ルナは、焚き火のそばに座りこんだアカリの首元に、そっと手をあてた。あたたかい血が、どろどろと流れ落ちている。右顎の下から、白い肌着のなかへ。
やわらかい首元の肉は、まるで女のよう。
「……痛く、ありませんか。」
言ってから、まぬけな言葉だったことに気づく。痛くないわけがない。
「ええ、大丈夫。」
アカリは、何事もないように微笑んだ。
「痛みは、あまり感じないんだ。」
「……そう、ですか。」
本当かもしれない、と思う。これだけ血を流しているのに、アカリは顔色ひとつ変えない。普通なら、とうに気絶していてよいころだ。
「……治します。」
小さく、宣言する。呪文というわけではないが、いつも、こう言うことにしていた。許可を取るため、かもしれない。誰の許可かはともかく。
じんわりと、脳から心臓へ、心臓から指先へ。爪と肌のあいだから、なにかが這い出してくるのがわかる。治癒の力、オーラ、呪力、何とでも。
指先から出た力は、直接、首筋に注がれるのではなく、一度、あいての脳に入りこんで、線をつなぐ。それから、脳と体をつなぐ線をとおって、全身へ。十分に躰を力で満たしてから、ようやく、傷口に集まりはじめる。
脳と脳がつながった瞬間の感覚は、なんとも説明しがたい。
相手も、同じことを感じるらしい。信者のなかには、恍惚として失神してしまった者もいる。村にいたころは、病を治してやった男に勘違いされたことも、一度や二度ではない。
きぃんと、頭痛のような快感のような、ねじれた感覚が前頭部で凝っていく。視界がゆがむ。それから、
アカリの痛みと、自分の指が触れる首筋の感覚が、少しだけ流れ込んで来る。
……これだから、治療は嫌なのだ。
眉をしかめる。特に、男の脳に触れたときは、なんともいえない違和感が残る。全身が、むりやり作り変えられたような。
ようやく、つながった。
ルナは首をかしげる。感覚が、思っていたのと違う。ふんわりと、暖かいような。
ともかく、悪くない。
力の流れに身を委ねて、ルナはそっと目を閉じた。
治癒の最中にこんな気持ちになるのは、ほとんど初めてのことだった。




