表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界八景  作者: 楠羽毛
方舟の世界
64/206

故郷

 切れた鎖のはじに、スペアの鎖をつないで、長くする。

 土台が無事なら、そこに新しい鎖をつなぐ。つなぐには、専用のリングを使うが、ボルトをきつく締めて固定せねばならない。鎖が長くなったぶんは、巻き上げ機で調整する。

 もちろん、作業は水中でやるのだ。

 大きなリング状の金具と、ボルト廻しを持って、裸で舷縁に立ったビーナに、アルバは小さく声をかけた。

「……雨季が終わったら、方舟に来るがいい。それまで、無事だったらの話だが。」

「必ず行きます。方舟がなくても、あなたがいれば。」

 それだけいって、ビーナは、とんと足元を蹴った。


 流線。


 まっすぐに、曲線をえがいて、くるんと頭から。

 水面に、落ちる。



 濁った水が肺にながれこんで来る。

 首もとに鈍い痛みが走り、肌が割れる。

 全身の鱗のあとが活性化して、びくびくと波うつ。

 開いた鰓をとおって、すぐに酸素が脳に。

 鰭の形成にはまだ少しかかる。


 ああ、

 この快感を捨ててしまうなんて、まったくあの男は。



 ぎらぎらとした水中用の視覚に切り替えて、ビーナは潜っていった。ベレオ人には、水流を知覚する能力がある。視覚と重ね合わせて、水の流れと熱、それから重さを見る。

 ゆっくりと、水底に手をつけて体重をささえながら、金具を運ぶ。土台のある場所はわかっている。水中で秋を待つ油樹たちをよけて、方舟の前の大通りへと。

 あった。

 土台そのものは、どうやら無事だ。鎖が切れただけらしい。

 大金具を、ひきずるようにして土台にはめこむ。水中形態になって腕の筋肉が弱っているから、簡単にはいかない。やっとこさ終えて、こんどは鎖。

 船上から垂らしてきた鎖を、もう一度、這うようにして土台のところまで持ってくる。十分に緩めてあるから、船の重みがかかることはない。それでも、波で鎖ががしゃがしゃと揺れて、邪魔っけなことこのうえない。

 鎖も輪に通して、最後に、ボルト。


 締まらない。


 肩をボルト廻しにあてて、地面に突き刺すようにして、踏ん張る。

 一回、二回、三回。

 だめだ。

 体重も、筋肉も足りない。

 波で、鎖がゆれる。力が抜けたところをはじきとばされるようにして、倒れる。

 もう一度。


 どうしても、締まらない。

 変態直後だ。もう、力が入らない。


 ──これを、締めなくては……。


 あのひとが、行ってしまう。


 力の入らぬ手で、もう一度。ついに、膝をつく。

 そのとき、


(……どうしたの?)

 水をふるわせて、反響する声。

 ビーナは、ゆっくりと顔をあげた。まだ、変態をおえたばかりの喉からは、声は出ない。

 ふりむくと、そこには、



「……大丈夫かな。」

 水面へと落ちた鎖をじっと見つめながら、朱里はつぶやいた。

「さァ、……おれも、水中であの作業をしたことはない。相当難しいとは思うが、……」

 それから、またしばらく、沈黙。


 ざざァんと、波が船にあたる音だけが。

 風が、強くなって来た。


「……アルバ、」

 迷いながら、何事か言おうとしたとき、

 まっすぐに垂れていた鎖が、ぎりりと動いた。

「アルバ!」

「あわてるな。合図があってからだ。」

 ぴんと、水中の土台に向けてまっすぐに張られているように見える。アルバは巻き上げ機のストッパーに手をかけて、合図を待った。

 ぐい、ぐい、ぐい、と鎖が三度、大きくゆれる。続けて、二度。また三度。

「きたよ!」と朱里。

 アルバはストッパーをはずして、ハンドルをまわす。十回、二十回、三十回……。少しずつ、鎖が巻き取られていく。やがて、ぴんと張られた状態でハンドルが動かなくなる。そこから逆転させて、十回。緩ませて、また留める。

 船は固定された。

「……どうやら、うまくいったか。」

「アルバ!」

 旅人の、あわてた声。アルバはぎょっとしてふりむいた。鎖に変化はない。では。

 急いで、指さすほうを見る。


 水面から、たくさんのベレオ人たちが顔をだして、大きく手を振っていた。


 ビーナ。グレオ。ダンシャ。カナ。ロビ。グーラ。ソーナ。ボリア。ベレス。ブルーナー。それから、ビーナのとなりに、


 虹色の手。


 水中形態のベレオ人たちは、空気中では喋れない。けれども、みな丸い目をぱっちり見開いて、くるくると頬を動かして。笑顔で。

「……あれ、どういう意味?」

 旅人が、けげんそうに言う。

「なんでもない。……終わったのさ。中で、ポルクでもしよう。」

 そういって、アルバは方舟へと入っていった。

 背後で、旅人がぎしりと扉を閉める音。


 ようやく、終わったのだ。そんな気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ