故郷
切れた鎖のはじに、スペアの鎖をつないで、長くする。
土台が無事なら、そこに新しい鎖をつなぐ。つなぐには、専用のリングを使うが、ボルトをきつく締めて固定せねばならない。鎖が長くなったぶんは、巻き上げ機で調整する。
もちろん、作業は水中でやるのだ。
大きなリング状の金具と、ボルト廻しを持って、裸で舷縁に立ったビーナに、アルバは小さく声をかけた。
「……雨季が終わったら、方舟に来るがいい。それまで、無事だったらの話だが。」
「必ず行きます。方舟がなくても、あなたがいれば。」
それだけいって、ビーナは、とんと足元を蹴った。
流線。
まっすぐに、曲線をえがいて、くるんと頭から。
水面に、落ちる。
*
濁った水が肺にながれこんで来る。
首もとに鈍い痛みが走り、肌が割れる。
全身の鱗のあとが活性化して、びくびくと波うつ。
開いた鰓をとおって、すぐに酸素が脳に。
鰭の形成にはまだ少しかかる。
ああ、
この快感を捨ててしまうなんて、まったくあの男は。
*
ぎらぎらとした水中用の視覚に切り替えて、ビーナは潜っていった。ベレオ人には、水流を知覚する能力がある。視覚と重ね合わせて、水の流れと熱、それから重さを見る。
ゆっくりと、水底に手をつけて体重をささえながら、金具を運ぶ。土台のある場所はわかっている。水中で秋を待つ油樹たちをよけて、方舟の前の大通りへと。
あった。
土台そのものは、どうやら無事だ。鎖が切れただけらしい。
大金具を、ひきずるようにして土台にはめこむ。水中形態になって腕の筋肉が弱っているから、簡単にはいかない。やっとこさ終えて、こんどは鎖。
船上から垂らしてきた鎖を、もう一度、這うようにして土台のところまで持ってくる。十分に緩めてあるから、船の重みがかかることはない。それでも、波で鎖ががしゃがしゃと揺れて、邪魔っけなことこのうえない。
鎖も輪に通して、最後に、ボルト。
締まらない。
肩をボルト廻しにあてて、地面に突き刺すようにして、踏ん張る。
一回、二回、三回。
だめだ。
体重も、筋肉も足りない。
波で、鎖がゆれる。力が抜けたところをはじきとばされるようにして、倒れる。
もう一度。
どうしても、締まらない。
変態直後だ。もう、力が入らない。
──これを、締めなくては……。
あのひとが、行ってしまう。
力の入らぬ手で、もう一度。ついに、膝をつく。
そのとき、
(……どうしたの?)
水をふるわせて、反響する声。
ビーナは、ゆっくりと顔をあげた。まだ、変態をおえたばかりの喉からは、声は出ない。
ふりむくと、そこには、
*
「……大丈夫かな。」
水面へと落ちた鎖をじっと見つめながら、朱里はつぶやいた。
「さァ、……おれも、水中であの作業をしたことはない。相当難しいとは思うが、……」
それから、またしばらく、沈黙。
ざざァんと、波が船にあたる音だけが。
風が、強くなって来た。
「……アルバ、」
迷いながら、何事か言おうとしたとき、
まっすぐに垂れていた鎖が、ぎりりと動いた。
「アルバ!」
「あわてるな。合図があってからだ。」
ぴんと、水中の土台に向けてまっすぐに張られているように見える。アルバは巻き上げ機のストッパーに手をかけて、合図を待った。
ぐい、ぐい、ぐい、と鎖が三度、大きくゆれる。続けて、二度。また三度。
「きたよ!」と朱里。
アルバはストッパーをはずして、ハンドルをまわす。十回、二十回、三十回……。少しずつ、鎖が巻き取られていく。やがて、ぴんと張られた状態でハンドルが動かなくなる。そこから逆転させて、十回。緩ませて、また留める。
船は固定された。
「……どうやら、うまくいったか。」
「アルバ!」
旅人の、あわてた声。アルバはぎょっとしてふりむいた。鎖に変化はない。では。
急いで、指さすほうを見る。
水面から、たくさんのベレオ人たちが顔をだして、大きく手を振っていた。
ビーナ。グレオ。ダンシャ。カナ。ロビ。グーラ。ソーナ。ボリア。ベレス。ブルーナー。それから、ビーナのとなりに、
虹色の手。
水中形態のベレオ人たちは、空気中では喋れない。けれども、みな丸い目をぱっちり見開いて、くるくると頬を動かして。笑顔で。
「……あれ、どういう意味?」
旅人が、けげんそうに言う。
「なんでもない。……終わったのさ。中で、ポルクでもしよう。」
そういって、アルバは方舟へと入っていった。
背後で、旅人がぎしりと扉を閉める音。
ようやく、終わったのだ。そんな気がした。




