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異世界八景  作者: 楠羽毛
方舟の世界
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あのひとと暮らした家

 別宅で暮らしはじめてから、ケ=ナはあまり外出しなくなった。

 外へ出る用事は、おれが大体済ませていた。街から離れてはいたが、少し歩けば蜘蛛人の集落があったので、生活に困ることはなかった。ベレオへも日帰りできる距離ではあったが、帰る気はなかった。

 蔵書は山のようにあって、おれは街にいたときよりも読書の時間が増えた。昼間は、用事をすませるあいまに、ケ=ナに教わりながら本を読んで、夜はポルクをしたり、歴史の話をしたりして過ごした。

 工房もあった。ほとんど使われていなかったが、おれが整備をして、ケ=ナとともに様々なものをつくった。鍛冶を本格的に覚えたのも、そのころだ。ケ=ナは、炉の温度を感覚で掴むのではなく、色と時間を数字になおして管理する方法を教えてくれた。

 屋敷は殺風景だったが、だんだん調度品が増えていった。魚と波をかたどった意匠がケ=ナのお気に入りで、自分では作らないくせに、たびたびおれに要求してつくらせた。柱のかざりものや、棚、窓辺に置く魔除け人形なんかも。

 ケ=ナは、なにかに怯えているようだった。

 最初は気づかなかったが、夜になるとケ=ナは眠れないままに窓をじっと見ていることがあった。何かのひょうしに木の枝が動いたりすると、すぐに窓から離れて、ものかげで息をひそめていた。

 2年ほど経って、買い出しにでた先で、おれはおそろしい噂を知った。


 ガラマが、猿人の集団に襲われたと。



「……猿人というのは、森に住む野蛮な奴らさ」

 アルバの声はすっと低くなった。

「体格はおれたちよりずっと大きくて、全身毛だらけ。一つ目で、走るときは四つ足。力ばかり強くて、文字も、街をつくる技術もない。言語はあるが、おれたちの言葉も、蜘蛛人の言葉も通じない。そのくらいのことは、おれも知っていた。実際に見たことはなかったが。」

 少なくとも、地球人類とは関係がないらしい。朱里は少しほっとした。

「……それで、その猿人は、なぜ蜘蛛人の街を?」

「それは、……昔の話だが」

 しばらく言いよどんでから、アルバはこたえた。

「……蜘蛛人は、猿人を家畜にしていたからさ。食うために」



 その話をきいても、ケ=ナはとりみだしたりはしなかった。

 まるで、予想していた、とでもいうように。


 ……きみも、そろそろ身のふりかたを考えなくてはいけないね。


 と、他人ごとのように言った。

 それがどういう意味なのか、おれはわかってしまったが、わからないふりをした。

 おれが黙っていると、ケ=ナは話題をかえて、いった。


 ……故郷の話を、聞かせてくれない? きみが生まれた村のことを。


 それは、ケ=ナと知り合ってから何度も繰り返してきた話題だった。おれはせがまれるまま、ベレオの建物や、川や、脂をまとった木々のことをよく話した。そうして、最後にケ=ナはきまって、帰りたくはないか、とたずねるのだった。

 おれの答えも決まっていた。……今はまだ、と。

 けれども、その日は、少し違う答えを返した。


 ……いずれ。胸をはって帰れるときがきたら。


 と。ケ=ナはそれをどう取ったものか。


 ……なら、急がないと。


 と、いった。



 おれが方舟の設計をはじめたのは、それから少ししてからのことだ。

 といって、まだ現実的な計画ではない。今のところケ=ナのところを出るつもりもなく、建築費のあてもない。ただ、ケ=ナは喜んだし、おれもやっているうちに夢中になった。

 大きな建物の設計などやったことがなかったから、何度も図面を引き直して、そのたびにケ=ナに添削され、模型をつくりなおした。

 ベレオ近くの脂樹の扱いはケ=ナもよくは知らなかったから、人のところに聞きにいったりもしたが、やはり、ガラマには近づくのはもう危険なようで、歩いて二日もかかる別の都市に通わなければならなかった。

 あるとき、ケ=ナは一通の封書をおれに託した。知人という人のところにそれを届けにいって──相手は蜘蛛語しか喋れなかったので、ほとんど会話はなかったが──帰ってきた後に、ケ=ナは、なんでもないかのように、言った。


 ……いまのは、きみを私の相続人に指名する書面だよ。


 ケ=ナの身内のことは、ほとんど教えてもらえなかった。が、蜘蛛人の寿命は長い。誰ひとり血縁がいないということはないだろう。

 なぜ、と言おうとしたが、言葉が出なかった。

 それっきり、そのことは終わってしまった。

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