クラデ王女
「……あなたに、お願いがあるの。アカリ。」
「お願い?」
「わたし、つきあっている男性がいるの。」
クラデはたいして表情をかえずにほほえんだまま。喜色をうかべたのは朱里のほう。
「ほんとう?」
日頃になく口もとをゆるめて、「どんな人?」と問い返す。
「花屋なのよ。城下町にすんでる。」
「へえ、いいじゃない。」
「やさしい人なの。……ねえ、あなた、メッセンジャーをやってくれない? 秘密の。」
「よろこんで。」
気楽にひきうけてから、朱里はちょっと首をかしげた。
「でも、なぜ秘密なの?」
身分ちがいが理由だと、なんとなく分かってはいた。それでも訊いたのは、この女が身分を理由に欲しいものをあきらめるところが想像できなかったからだ。
「……わたし、許婚がいるの。」
「そうなの?」
想定内の答えではあった。
「そう。王族の結婚は重大だから。……けれど、私は欲しいものを絶対に諦めないの。だから、彼はわたしのものになる。」
そう、おだやかに王女は宣言した。
すっかり上気した頬をゆがませて、朱里は、つぶやいた。
「……あなたは、立派な王になるわ。きっと」
*
一か月ほど、前のこと。城下町のはずれの路地道で、クラデは立ち往生していた。
稼働中の黒機兵の調子が悪くなることなど、今まであったためしがない。
とはいえ、機械には違いない。故障は、いつでもありうることだ。すぐにデイジーがかわりをよこすはずだが、それまで待つほかない。ほかに連れてきたのはクロヒナギクが二人。どちらも、黒機兵の応急整備にかかりっきりだ。
警備軍事務所へ顔を出した帰りである。ふらつく黒機兵をなんとか誘導して、大通りから路地にひっこんだところで、完全に動けなくなった。
馬車のうえで、クラデはぼんやりと身をおこしていた。天蓋付きの馬車もあるが、街をゆくときは使わないときめている。市民に顔を見せるのも王族の責務のひとつだ。当の国王はそんなこと、考えてもいないようだが。
ふと、人影に気づく。
クロヒナギクや黒機兵ではない。人間の気配だ。
ゆきどまりの路地道の入口、ふさぐように、複数人の……
いや、大人数の。たぶん、十人以上。
近隣の住民、というには少し格好がおかしい。合成革を重ねたつなぎに、覆面。手には、ボウガンと、棒状の武器。刃物をもっている物もいるようだ。
クラデは、口元に笑みをうかべながら、相手の言葉をまった。
何もない。
路地の突き当りには民家につながる門があるが、人の気配はないから、たぶん鍵がかかっているだろう。乗り越えるのには時間がかかる。まずは、通れないものと考えなければならない。
クロヒナギクは、依然、修理の手をとめない。こういう場合、指示をまつように厳命してある。黒機兵とちがって武装はないし弱いが、あいだに飛び出させれば、盾くらいにはなる。
間がもたない。
「どうしたの?」
いいながら、馬車からゆっくりとおりる。ウマを駆って突撃することも考えたが、思ったより向こうの人数が多い。油のにおいもする。
ほんの少し時間を稼げば、黒機兵のかわりがくる。
それに、本当に問答無用ならば、とっくにボウガンを撃っている。まだ何もしてこないのは、言葉をかわす余地があるからだ。
「……先週の話かしら?」
かまをかけてみる。半分は、でたらめ。残り半分は、事実だ。
いずれの手先にせよ、単なる下っ端なら、警備軍と犯罪組織の取引のことなど知るまいが、もしかしてということもある。
いらえはない。
クラデは、さらに近づいた。
ともかく、攻撃してくる気配はない。ならば、もっと話をしたほうが良い。
「……デイジーに聞かれてはまずい話なの?」
共犯者めいた笑みをつくって、そう、声をかける。
「……そうだ、」
と、ひとりが、ようやく言葉を発する。
「そう、それじゃ……」
クロヒナギクを遠ざけようと、口をひらく。どのみち、今はたいした役にはたたない。
そのとき、
「……姫!」
聞き覚えのない、人間の声。
門がひらく音。襟首をつかまれる。
あいての姿はみえない。
「デイジー! 防いで!」
とっさに、叫ぶ。門のおくへとびこみ、とじる。それから、
やっと、顔をみた。
*
「それが、彼だったの。」
そう、クラデはいった。
なぜだか、カセイジンはそっぽをむいて、ずっと黙っていた。




