盤上
ビーナは、暗いすきまに潜り込んで、じいっと隠れていた。
*
ポルクには、19のマスに区切られた円形の盤を使う。
円の中心に、ひとつ。その周囲に、円周状に6つのマス。それからさらに外側で、12マスに区切る。時計みたいだと、朱里は思う。1時のマス、2時のマス、3時のマス。
中心のマスを円心と呼び、その外側の円周を、内の円、外の円と呼ぶ。
外の円の2箇所、むかいあう2つのマスが、赤く塗られている。元室と呼ぶ。
たがいに3つのコマを持ち、動かして、相手の元室を先に奪ったものが勝ち。そういうゲームだ。
「──じゃあさ、」
朱里は、自分の元室にあった、四足の動物のようなコマを盤からおろして、かわりに羽のはえた柱のようなコマを持ってきた。『変身』である。
「こうやって、『猫』を『鳥』にするでしょ」
猫は、相手のコマを排除して進むことができるが、一歩ずつしか動けない。鳥は、相手のコマを落とせないかわり、2マス動いたり、コマを飛び越して進むことができる。
つまり、自分の元室から、次のターンに円心、妨害がなければその次に相手の元室を直接奪うことができるのだ。
「ふむ」
「で、『蜘蛛』をその前に」
言いながら、内の円にいたもうひとつのコマを移動させて、『鳥』の前に置く。
「で、こっちの『猫』はそのままで、ラウンド終了」
「よいのか?」
アルバは、自分の『鳥』を『蜘蛛』にかえて、
「これで円心には入れぬぞ」
「え、そうなの?」
「入ってもよいが、落とされるだけだな。……『蜘蛛』は、円心に向けて直線上に糸を飛ばすと言ったろう」
「えー、反対側にいる相手にだけ当たるのかと思ってた。……じゃあ、蜘蛛がどこにいても円心には攻撃が届くってこと?」
「そう。だから、相手の虚をつかねば通れない。そういうゲームなんだ」
「……うーん……」
「戻してもかまわんぞ」
「いい、続ける」
「それじゃ、」
アルバはもう一体の『鳥』を、内の円の右回りに2マス進めて朱里の側に近づけた。もう1体の『猫』は、自分の元室の前を守るようにしたまま、ラウンドを終える。
「お前の番だ」
「よっし。……それじゃ、」
朱里は、内の円にいた自分の『猫』を、円心に動かした。
「ほう? 蜘蛛の攻撃が届くと言ったはずだが」
「それはあなたの手番になってからでしょ。ホラ」
朱里は得意げに盤面を指した。元室にある朱里の『鳥』、その前に『蜘蛛』、『猫』、アルバの『猫』と、一直線に並ぶかたちになっている。
「こうやってコマが並んでれば、『鳥』はいくつでも飛び越せるんでしょ。わたしの勝ち!」
ぽんと、ひととびに『鳥』をアルバの元室に置いて、朱里はさけぶ。
「よく気づいたな」
「なあんだ、知ってたの」
「普通なら、こうやって元室をがらあきにしたりしないもんだ。今のは教えただけだ」
「ふうん。なら、もう一戦ね」
盤上にあったコマを降ろして、もう一度並べる。元室と、その両隣に猫。これが初期配置である。
「……『蜘蛛』や『猫』ねやられて落ちたコマは、その後どうなるの?」
「次の自分の手番の最初に、元室で復帰する。元室が空いてなければ、もう1ラウンド待つことになる」
「ふーん。じゃ、元室を狙える位置に蜘蛛を置いとけば、」
「復帰したラウンドから移動できるから、避けられて終わりだな。もっとも、元室を空けさせる意味はある。それも戦術だ。さっきはそれを狙おうとしたんじゃないのか?」
「まあ、ね」
初心者の朱里が先手である。一足飛びに蜘蛛は作れないから、元室の猫をまず鳥に。残りの2体は、外円から内円に移動させて終わり。
続いてアルバの番。元室とその右側にいる駒を鳥にして、もう1体を動かす。
「……ね、蜘蛛人の話は?」
「ああ、」
アルバは駒を動かす手をとめて、
「話のきっかけのつもりが、長くなってしまったな。……蜘蛛人のケ=ナ。このゲームは、彼女に教えてもらったんだ」
「女性なの?」
「ああ。……異種族だぞ。たしかに、長いあいだ同居していたが。」
「そうね。……ねえ、これ見てよ」
朱里は左手をあげて、木の指輪をアルバに見せた。
「立派な工芸品だな。」
「もう!……これ、異種族の男性にもらったの。」
「恋人、か?」
「まあ、……そういうことになるかな」
「ふむ……、」
アルバは猫を内の円に入れて、
「おまえの手番だ。」
「ん。」
ぽんぽん、と朱里が駒をつついて悩むあいだに、
「そういうのではないが、たしかに彼女は素晴らしい人だった。技術者としても、ひととしても。ただ……」
「ただ?」
「……食事の方法は、ちょっと慣れなかったな。向こうも気を遣って、見せないようにしてくれていたが。」
蜘蛛の食事をちょっと想像して、朱里は首をぶるぶると振った。
「……どのくらい、その人と一緒にいたの?」
「10年くらいかな。蜘蛛人の寿命からすれば、たいした時間じゃない。それに、彼女の知識を受け継ぐにも、ぜんぜん足りない時間だ。後半の数年は、おれは方舟の設計にかかりっきりだったし……、」
「どうしてその人のところを出たの? 聞いてよければ。」
方舟の話が出たので、朱里はそう聞いてみた。洪水のことが聞ければ、と思った。
けれども、返ってきた答えは、予想外のものだった。
「ケ=ナが死んだから。……いや、殺されたからさ」
それきり、会話はとぎれてしまった。
*
「……ねえ、もし、あなたの知らない誰かが、この船に乗っていたら?」
夕食どき、やっとタイミングを見つけて、朱里はそう聞いた。
「……叩き出すさ」
答えは、その一言だった。




