遊戯室
「アカリ!」
廊下から、大きな声。
壮年の男の声のように聞こえる。アルバが何歳なのか、朱里は知らない。デイジーベルの翻訳機がそのような声に変換しているのだから、たぶんそれなりの年齢なのだろう。
ドアを開ける。
ベレオ人の体型は、地球人に似ている。アルバの身長は朱里と同じくらいだが、両腕や足はかなり太い。体毛はなく、肌はつるりとしてかすかに鱗のあとがある。体色は人によってまちまちだが、アルバの体は濃い茶色。大きめの白いトーガの後ろから、長いしっぽが突き出している。
ベレオ人にしては目が大きく、つるりとしてくちばしの突き出した顔に、眼鏡。外耳はないが、ねじった蔓のような、後頭部までぐるりと回すようなフレームで固定している。
「朝食だ。来い」
「うん、……ありがとう」
朱里はちょっと顔をしかめて、廊下に出た。
今にはじまったことではないが、ベレオ人の表情はよくわからない。人類とは、根本的に違うらしい。
廊下を端まで歩いて、広い部屋へ。朱里は勝手に遊戯室、と呼んでいる。テーブルとソファ、書棚といくつかの箱、四角い大きな窓。まだ外は雨で、ひどく暗い。方舟にも照明装置はあるが、居室で火を使うのは危険だからか、あまり点けないようだ。
つるつるした木製のテーブルの上に、白布と木皿がふたつ。朱里の前の皿には、スライスして焼いた芋に黒い液体をかけたものと、茹でた鳥肉の塊。それから、青野菜の漬物。
「……いただきます。」
手をあわせて言うと、アルバはちょっと動きをとめてこっちを見る。
カトラリーはない。ベレオ人は、手づかみで食事をする。朱里ももう慣れた。白布で手を拭いてから、まず芋をつまむ。
「……このソース、何?」
「魚のくずと海水で作った調味料だ。口に合わなかったか?」
「ううん。美味しい」
ほっと、息をつく。ベレオ人の味覚は、地球人に近いようだ。そもそも、デイジーベルを出て以来、まともに調理された食べ物が出てきたのはこの世界が初めてである。
「……こんど、料理手伝おうか?」
「いらんよ。どうせ、お前がいられるのもあと数日だろう。教えている間に終わってしまうさ」
「それも、……そうね」
アルバは少食のくせに、食べるのが遅い。朱里が先に食べ終わって、立ち上がると、
「……あとで、渡したいものがある。待っていてくれ」
「なに?」
「見てのお楽しみだ」
朱里はちょっと首をかしげて、皿をもって一度、台所にひっこんだ。
*
「……これだ、」
遊戯室に戻ってきたアルバが、そう言って手のなかのものを朱里につきだした。
朱里は眉をしかめて、
「なあに?」
つぶやいて、ぐっと顔を近づけた。裸眼では、こんなものもよく見えない。
茶色の、木でできた硬そうなフレーム。ちょうつがいは無く、木片をくみあわせて固めたような跡があるだけ。レンズだけは厚い硝子製、すこし重そうな。鼻あてはない、シンプルなつくりの。
「眼鏡!?」
「ああ、……なくしてしまったと、言っていたろう。」
「それにしたって……、」
いいながら、奪い取るようにして受け取り、かけてみる。
くらくらする。が、何もかもはっきり見える。木机のおもての皺さえ。
「少し、きついか。レンズを入れ替えよう。かしてくれ」
「……ありがとう、」
はずして、渡す。それから気づく。
「あなたのフレームと、……ずいぶん違うのね。」
「ああ、」
アルバの眼鏡は、蝋のようなもので固めた蔓でできているように見える。レンズを支える前面は硬く、うしろは柔らかく。後頭部は紐のようになって、結んで固定している。
「おまえの平らな顔では、これはつけられないだろう。……木のわくを耳にかけると聞いたので、そのようにしてみた。面白かったぞ」
「はあ……。」
朱里は首をかしげた。木のわくとは言っていない。プラスチックとか樹脂とか、そういう言葉は通じないだろうと、濁した覚えはあるが。
「どうも、ありがとう」
アルバは無言で、もう一度眼鏡を朱里の顔におしつけ、両手でぽんぽんと触った。
「……フレームも、少しきついな。もうちょっと調整する」
すっともう一度、眼鏡をとりあげて、そのまま部屋をでていく。
朱里はぼんやりと目をしばたかせて、もう一度、
「……ありがとう。」
と、ちいさくつぶやいた。
口もとを、緩ませて。




