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異世界八景  作者: 楠羽毛
方舟の世界
53/206

客人の部屋

 一時間ほど後──


 二人はようやく船内に戻った。アルバは、作業室にまた籠もるようだが、朱里は割り当てられた私室へ入って少し休むことにした。

 ともかくも、着替えなくてはやっていられない。

 来ていたものをぜんぶ脱ぎ捨て、新しい布で体をふく。さいわい、白布はたくさんある。

 鏡はない。部屋には、ベッドがひとつ、ちいさな机と椅子、布と衣服の入った箱、あとは、朱里が持ち込んだ私物があるだけ。

 鏡がないのは、ありがたい。そう思う。

 嫌いな顔を、見なくてすむ。

 まだ十四歳。けれども、これから顔立ちが大きく変わることなんてないだろう。長い睫毛にきつい目元も、四角ばった輪郭も、やけに赤い唇も、きらいだ。もっと子供らしく、かわいい顔立ちであったらいいのに。髪も、ストレートだったら。

 背は、まだ少しは伸びるだろうか。ちびで幼児体型のままで、大人になるなんて。

 ため息ひとつ。比較対象がいないだけましか。この世界でも、その前の世界でも、朱里と同じような人類はいない。

 たんすを開ける。この世界の、ベレオ人の女性の服が一式。体型は違うが、サイズはあわせてもらってあるので、着られないことはない。デイジーベルでもらった下着をつけようかと少し迷う。が、やめた。砂漠の世界で仕立ててもらった衣装といっしょに、大切に鞄に詰めてある。当分は、このまましまっておこう。

 地下世界でもらった木の指輪だけは、つけたまま。はずしてはいけないような気がして。

 髪を拭いたあと、茶色のショートパンツのような下着を履き、胸に布を巻いて後ろでかるく縛る。ベレオ人には乳房がないので、ブラジャーというわけではない。単に、防寒と装飾のための布か。それから、腹のあたりにも白布を、こちらは帯のように少しきつめに巻いて、背骨のあたりで木釦をとめる。

 ふんわり軽い布のアンダースカート、それから、筒型に縫われた大きな布に頭を通して、上端を肩から腕にそうように紐と木釦でとめて、最後に腰と胸の下に紐を巻いて締める。結果、ぞろりとひだの深い、白布を巻きつけたような服になる。

 布の上端を紐と木釦でとめて袖をつくった都合上、肩と腕は露出が多くなる。ありていにいって、寒い。少し考えて、ショールをはおることにした。雨が降り出す前は、暑くてたまらなかったものだが。

 この服の着方を教えてくれた仕立て屋の女主人も、いまは水の底だ。

「……あーあ、」

 ため息をついて、ベッドに転がる。綿か、羽毛か、とにかく、なにか柔らかいものがきちんと詰められたマットレスと、布団。まだ髪が湿っているが、かまうものか。

 気になるのは、さきほどの人影。いや、人影なのかどうか。

「……まだ、誰か生き残ってるんだと思う?」

「さァ、」

 ベッドの端あたりにちょこんと浮いたカセイジンが、ユーモラスに頭を傾けて、

「わからない。あれだけの洪水で、助かったとすれば、」

「……水が来る前から、方舟に乗り込んでいた?」

「乗員は、君とアルバだけのはずだろ?」

「そう、聞いてるけど。」

 二日前、この世界に転移したときのことを思い出す。

 すぐに、洪水で村が沈む運命を知らされ──方舟の番人たるアルバに、助手を申し付けられた。あれよという間に、方舟の上層に部屋が与えられ、気がつけば船の修繕や、積み込んだ荷物の勘定を手伝っているというわけだ。

 方舟の存在は、村では周知の事実で、ベレオ人たちはみな、アルバのやっていることを知っていた。けれども、誰ひとり、方舟に乗ろうとはしなかった。

 どういうわけなのか、朱里にはわからぬ。くわしく尋ねるのもはばかられた。

 どうせ、一週間後にはまた転移してしまう、異世界人の身である。

 それまでの間、衣食を賄ってもらえればよい。そう、割り切ったつもりだった。

「……でもなァ、」

「なに?」

「いやあ、こう、キツいっていうか……村ひとつ目の前で沈んだわけじゃんか。あたしが悪いわけじゃないけどさ」

「……それ、アルバに言ってみたら?」

「ヤだよ。機嫌そこねて放り出されたらどうすんの」

 顔をしかめて、首をふる。

「あたしはね、今の生活を絶っ対に手放したくないの。だいたい、まともなベッドで寝るの何日ぶりだったと思ってるの? ずーっと、土の上だの草の上だの、砂漠のクソ暑い石の上だの。普通の家で普通のベッドで寝て、普通のごはん食べられる生活がどれだけ貴重か」

「……どうせ数日したら次に行くんだからさ」

「次の世界に人間サイズのベッドがあるんなら、いくらでも言ってやるわよ」

 とは、言ったものの。気にはなる。

 いずれ、機をみて、アルバを問い詰めてみよう。さすがに、船から追い出されはすまい。


 故郷へむけて多重世界を旅する異邦人にも、そのくらいの権利はあるはずだ。



 あの夜のことを、アルバは思い出していた。

 ケ=ナが、死んだ夜のこと。

 何度も、何度も、ことあるごとに。

 あの猿どもに、彼女がなぶり殺された夜、

 おれは、屋根裏でただ震えていたのだ。


 なにもかも、聞こえていたのに。

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