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異世界八景  作者: 楠羽毛
幕間
50/206

ハ・ル・シティの朝

 ハ・ル・シティの朝は早い。

 太陽がのぼって少しすると外気温があがり、風の民のからだも暖かくなっていく。ほどなく、活動可能域に達して、むくりと石台から腰をあげる。

 パ・ルリは部屋のすみに置いてある首かざりをつけて、くるくると首を回す。身支度は、それだけ。風の民は、眠っているあいだはほとんど新陳代謝しないから、起きぬけに身体を洗うような習慣もない。服を着ないから、着替えも必要がない。

 ただ、身体を伸ばして、数度、腰をまげる。体操のようなものである。

 ドアのない部屋から出て、廊下を歩く。この屋敷では、そこかしこに水が流れている。ズ・ルの居室のまわりには小さなため池。屋外にある渡り廊下のわきには、ちょろちょろと流れる小川。

 水の匂い。以前はあまり好きではなかったが、今はどこか浮き立つような。

 早朝のあたたかい日差しのなか、ズ・ルの部屋へ。

「ズ・ル様。」

 ドアのない入口の、少し離れたところから、小さく声をかける。

 返事はない。珍しいことだ。

「ズ・ル様。まだ、お休みでいらっしゃいますか。」

 少しだけ待ってから、数歩踏み出し、部屋をのぞきこむ。

 いない。

「パ・ルリ!」

 思いもしなかった方向から、声がした。

 背後。小川のむこうだ。

 ふりむくと、すっかり身支度をととのえたズ・ルが、ひとりで立っている。

「あら、」

「驚いたか。」

 軽々しくも小川をまたぎこえて、きんぴかの鎖をまいた手首を、こちらに向ける。

「来い。見せるものがある。」

「なんです?」

「よいから。こちらだ」

 手をひかれて、ずんずんと西離れのほうへ。気まぐれはいつものことだが、こんなに強引な態度は珍しい。

 半月ほど前のできごとを思い返して、パ・ルリは小さくつぶやいた。

「……また、あの石像のようなものでは。」

「門前に置いたやつか? あれは、よい出来だったじゃないか。」

 機嫌よさそうに言うが、どこまで本気か。

「さァ、私からは、なんとも。」

 とは言ったものの、パ・ルリはそれについては、実は本気で怒っていた。

 いくら、水袋人が宣伝の種になるといったって、何も、あのような。

 もし、本人が見たら、なんと言うか。


 ……案外、おもしろがって笑うかもしれないが。


 さて、辿りついたのは、西離れのさらに先、ズ・ルが一度作らせたっきりほとんど使わなくなってしまった広い東屋。正方形のテーブルの上に、なにかが乗っている。

 テーブルいっぱいに、色とりどりの砂と石がばらまかれたような。よく見ると、うすい石板がテーブルのうえに敷かれて、砂はそこに貼り付けられている。

「……砂絵図面ではありませんか。」

「そうだ。昨日、つくらせた。」

「こんなものでしたら、私にお申し付けくだされば。」

 砂絵は、パ・ルリの得意とするところである。実家にいたころは職人仕事のあいまに毎日のように描いていた。この屋敷にも、彼女の作品は何枚も飾られている。

「いや、これは、そういうものではないのだ。実用品だからな」 

 たしかに、飾り文様もなく、そっけがなさすぎる。してみると、これは地図か、なにかの説明図か。街の図面や、建築図ではないようだが。

「これは……、ハ・ル・シティですか?」

 テーブルの中心、紫色の石をさして、たずねる。そのまわりには、黒い、ちいさな石がたくさん。ハ・ル・シティを取り囲む、太陽光発電板か。

「そう。そして、これがオアシス・プールだ。」

 ハ・ル・シティにほとんどくっつくようにして、青い砂だまり。中心には、小さな柱。

「これでは、近すぎませんか。」

「縮尺が小さいからな。」

「はぁ……、」

 してみると、この図面はずいぶんと広い範囲を示したものらしい。

「ハ・ル・シティより、ルーダーで北に7日ゆくと、ラド・シティ。それより北は、辺境の地。むりに進めば、テ・ド山脈にはばまれる。南は、はてしない砂漠。キャラバン・ロードが続くが、それとても集落のない砂の海をこえることはない。」

 ぴっぴっと、図面のあちこちを指しながら。ズ・ルが解説する。パ・ルリも、そのくらいは知っている。彼女自身は、ほとんどハ・ル・シティを出たことはないが。

「西は、いかがです。オアシス・プールの西は。」

「山と、谷だ。天頂大地。秘境ではあるが、誰も知らぬ地ではない。」

「誰も知らぬ地というと……、」

「そこに水袋人はいない、ということだ。」

 ほんの少しの沈黙。

「……ズ・ル様、それは。」

「この砂絵図面は、おれたちの知っている世界。おれが知りたいのは、その外だ。」

 たんたんと。

 それから、少し、様子をうかがうように、こちらを見て、手をひろげて。

「……アカリにご執心だったのは、」

「おい、ばかを言うな」

「そういう意味ではございません。……そのため、だったのですね。アカリを天上人のようにまつりあげて、石像までつくって。」

「別に、最初から考えていたわけではない。ただ、あいつを見ているうちに、惜しくなった」

「惜しい、とは。アカリが去ってしまったのが?」

「まあ、そういうことだ。……水袋人は、面白い。まだ、どこかで生きているなら、ぜひ欲しい。」

「それだけでは、ないでしょう。」

「というと?」

「水袋人が、まだ昔のような技術を伝えているなら、それを手に入れた人は、莫大な利益を得るのではありませんか。」

「おまえの言うとおりだ。」

 ズ・ルは笑った。風の民らしく、一つ目をくるくると回して。

「それをやるには、おれの金だけでは足りぬ。であるなら、みなが水袋人を崇めてくれていたほうが、都合がよい。なにせ、今までにない大冒険行だ」

「冒険行。どちらに、……ゆかれるので?」

「海さ。」

 すっ、と、オアシス・プールの反対側、東のほうを指す。

 青と、黒の砂がまじって、テーブルのはじまで敷き詰められている。

「海のむこうには、また別の陸地があり、そこには、青々とした木々が広がっているという。誰も、見たことはないが。水袋人がいるなら、そこだとおれは思う。」

「海……。」

 パ・ルリとて、知らぬではない。だが、実感はない。

 水ばかりの地など。

「まあ、行くにせよ、すぐというわけではない。まずは海岸まで調査隊を送ってめどをつけ、資金の段取りをせねば。船のつくり方も、おれたちは知らぬのだからな。早くて、10年後というところか。それまでに、身辺整理をすませておくがいい。」

 パ・ルリは、はァ、となま返事をしかけてから、

「……私が、ゆくのですか!?」

「おまえが、ゆくのではない。……おれがゆくときは、ともに来いと、言っている。」

 二歩。

 いいながら、二歩、ズ・ルはパ・ルリに歩みよった。

 パ・ルリは少しためらったあと、

「……もう一度、言っていただけますか。」

「何度でも、言うさ。……おまえは、頭がよい。気もきくし、手先も器用だ。このたびの大仕事には……、」

「そういうことでは、ございません。」

 かさねて言われて、ズ・ルは少し声を小さくして、ゆっくりと、繰り返した。

「……ともに、来てくれ。おれのゆく場所に。」

 パ・ルリは満足げに目をくるくるとまわして、


「はい。」


 と、いった。

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