夜景
王宮の屋根は、遠目にはすっきりした翡翠色に見えたが、近くによってみると、同系色の石がびっしり並んだモザイク模様。踏み出すと、ざらざらした石の突起が足にあたって滑り止めになる。
最上階の隅、倉庫のようなところからはしごを伝って、三角窓から屋根にでる。
朱里はひやひやしながら、クロヒナギクに補助されて梯子をのぼった。王女は慣れた様子で、すいすいと屋根材のうえを歩き、腰かける。ふんわりしたドレスにかかとの高い靴を、すべるようにしずかに動かして。まるで、曲芸師か何かのよう。
「……この国の話をしましょうか。」
朱里が横にすわるのを待ってから、クラデはしずかに語りはじめた。
「『最初のとき』、私たちは、宇宙船に乗っていた。」
ほんの少し歌うように節をつくって。ちいさな子供に、語りきかせるように。
「それは、世代をこえて宇宙を旅するための船だった。私たちは逃亡者で、地球から逃げなくてはならなかった。でも、火星も金星も冥王星も、すでに敵に支配されていて、逃げ場はなかった。」
火星、というところで、朱里はぴくんと震えた。固有名詞。翻訳の不調でなければ。
「敵って?」
「私たちと同じ、人類。それ以上は知らないの。『最初のとき』のことは、記録が不完全だから。」
クラデはほんの少し残念そうな目をして首をふった。朱里はその顔を見もせずに、じっと考えていた。火星、金星、冥王星。そして、人類という言葉。私たちと同じ、人類、と。
「ワープ航法。そのときは、そんな名前で呼ばれていた技術よ。いまよりずっと不完全で、行先をちゃんときめることもできなかった。それでも、生き延びるためには使うしかなかったの」
「それじゃ……あなたたちは、」
朱里は、ふるえる声できいた。答えはもうわかっていたが。
「そう。わたしたちは地球人。いまから五千年も前に故郷を捨てて、多元宇宙をさまよう放浪者。もう、ほとんどの仲間たちはそのことを忘れてしまったけど、わたしたち王族は覚えている」
「王族って、……」
「宇宙船デイジーベルの指揮者の子孫よ。わたしたちだけが、人工知能『デイジー』と会話し、命令することができる。だから……」
クラデは、すぐ横に口をあけた三角窓に目をやった。
ぱちん、と指をならす。
とたんに、景色がかわった。
「え、」
朱里はまぬけな声をあげる。
ぼんやりと霞がかった星空が映し出されていた頭上が、すっきりとした。
霞がきえたのだ。
そして、その向こうには、やはり星空。いや、
とおい星空をかくすように、大きな影がたくさん。その間をぬうように、またたく星が。
「……あの影は、」
「あれは工場街。あそこにはあかりは必要ないの。」
「真上に?」
「ええ。……さあ、下を見てごらんなさい」
いわれるまま、建物の下をみる。
王宮のまえにあるはずの広場が、きえていた。
「え!」
そこにあるのは、ぽっかりと広がった星空。のみこまれるように遠い。
あわてて立ち上がり、ほかの場所に目を走らせる。
城下町。西の平野。
上空に浮かぶホログラムの霞が消えたおかげで、直上だけでなく、正面や背後の街なみもうっすらと見える。
それから、左右。
いずれの地域も、建物がないところは、遠くかがやく星々がうつっているようだ。
左右の果てには何もないのか、星空がそのまま。
「居住区の内壁に、外の景色を映し出すようにしてみたの。」
「そんなことが……」
「この国の王族であるというのは、こういうこと。」
ぱちんと、もう一度指を鳴らす。
景色がもとにもどった。
「……こんなことしたら、苦情がくるんじゃないの」
朱里が小さくそういうと、クラデは声をあげてわらった。
「面白いこというのね、あなた。」
「いや……、」
「ほかにも、なんでもできるわよ。たとえば……」
くるくるくる、と指をまわして、
「あなたの目、病気でしょう? 治してあげようか」
「……ただの近眼、」
「顔はどう? 脚ももっと長くしたいんじゃない? その髪は?」
「……あなたこそ、」
クラデの、まるく輪のかたちをした瞳をさして、
「その目、どうなってるの?」
「ああ、これはね、……王族のあかし。別に、変えたところでデイジーと話せなくなるわけではないけれど。いいでしょう?」
まあるく目をみひらいて。
「……、ふうん」
「あなたが一番してほしいこと、当てようか。」
「え?」
「地球に帰りたい。そうでしょう?」
いろんなことが頭をよぎる。
10秒ばかりじっと考えてから、朱里は仕方なくうなずいた。
「……まあ、ね。」
「それじゃ、帰してあげる。」
さらりといわれて、朱里は目をむいた。
「できるの!?」
「いま、デイジーが調整してるわ。あなたがこちらへ来たのは、私たちの実験の影響でもあるしね。」
朱里は、いちど王女の顔から視線をはずして、
30秒ばかり、またじっくりと考えて、
深呼吸をして、それから、小さく、
「……ありがとう。」
と、いった。
「どういたしまして。それでね……」
クラデは、いたずらっぽく笑った。




