黒機兵
夕刻──
朱里は、眼鏡の奥の目をぎらつかせながら、短い脚を大股に、ずんずんと廊下を進んでいた。そこかしこにクロヒナギクと黒機兵がいるが、とがめられることはない。それどころか、こちらに目を向けすらしない。まるで、警備という考え方自体がないようだ。
それに、人の姿もない。
いや──
それを確かめるために、歩いているのだ。
眉根をぎゅっと寄せたまま、目線をあたりに散らして、早足に考える。高層階をすこし覗いて、それから1階。地下かもしれない。居室のエリアではなく、倉庫か作業場のようなところ。しいて隠していないならば、当然、そう遠くないところにあるはずだ。
「朱里、」
背中ごしに、カセイジンが何かいおうとする。朱里はふと思いついて足をとめる。
「あんた……」
ふりむきざまにくびすじをつかんで、すぐ近くまでひきよせる。声をぐっと低くして、
「……黒機兵の詰所を知ってるでしょう?」
「え、……」
「案内なさい。ごまかしたら、ただじゃおかないから」
しばらく睨みつけると、カセイジンはタコの顔で器用にため息をついて、
「……こっちだよ。いちばん近いのはね」
ふんわりと、手招きをした。
*
ドアの上に、横書きで、短く、なにか書いてある。
文字のようだが、むろん読めない。アルファベットの筆記体に似ているような気もする。
その脇で、出入りをうかがう。鍵はかかっていないようだ。クロヒナギクが、すうっと部屋に入る。それから、斧を無造作にたずさえた黒機兵がひとり、無音のまま出ていく。
それを見送った後、朱里は決心して、思い切りよくドアをあけた。
そこは、まさしく作業場であった。
かわいた空気が、鼻のおくをさす。広さは、さほどない。部屋の半分をしめる、ぶあつい天板の無骨な机。金属製の大きな棚が壁際にびっしり。反対側には、工場で使いそうな大型の機材。操作盤とディスプレイ、あとはよくわからない。針のようなものが突き出してこちらをむいており、その先端には小さな透明の球体がある。
部屋のなかには、顔を覆ったままのクロヒナギクがふたり。ひとりは、白手袋をした細い指を操作盤にすべらせている。それから、もうひとりが、机にむかって、壁ぎわの機械と長い線でつながった小さな棒状のものをこまかく動かしている。
そして、机のうえには、体からはなれた黒機兵の頭が。
「……っ!」
思わず声をあげそうになって、唇をかむ。
もっとも、こらえる必要などなかったかもしれない。
クロヒナギクは、朱里が入ってきたことにまるで気づかないかのように、淡々と作業を続けていたからだ。
ただ、机のうえの黒機兵の首だけが、
ぎょろりと、顔をかたむけてこちらをむいた、ように見えた。
錯覚だろうか、と目をこすった瞬間、クロヒナギクが黒機兵の首をもちあげて動かした。首の断面が目にはいる。わずかな空洞、キャップされたチューブと導線の束、くろがねの骨格。
(やっぱり……!)
黒機兵は、人間ではないのだ。
たぶん、クロヒナギクも。
そっと後ずさったとき、奥にいたクロヒナギクがこちらを見た。
ヴェールのむこうの、人形じみた女の顔がすけて見える。唇はとじたまま。微動だにしない瞼。
びくんと身をふるわせる。目があわない。わずかに目線がずれているような気がする。右上をみる。カセイジン。クロヒナギクは、カセイジンのほうをみたのだ。
カセイジンが、こちらをみて口を開く。まるで通訳のように。
「『お帰りなさいませ。よろしければ、お部屋でお湯など浴びられては。』ってさ。どうする?」
*
浴室は、トイレのとなりにあった。昨夜はなかったと思う。少なくとも、ドアノブはなかった。
れんが造りの壁、いやそう見えるようにつくってある内壁から、チューブがのび、石造り(に、見える)のシャワーヘッドに接続している。
お湯の勢いは強い。チューブの根本にダイヤルのようなものがあり、温度はそれで調整できるようだ。
(……これが、魔法? ふざけんな!)
きゅっとボタンをおしてお湯をとめ、朱里は唇をかんだ。
おいてあった、やけに吸水性の高い布で髪をごしごしとこすりながら、部屋へもどる。乱暴な手つきで下着を探しつつ、カセイジンにむけて叫ぶ。
「案内して! クラデの部屋!」
*
「クラデ!」
朱里は、眉をふるわせてクラデの私室へとびこんだ。入口に黒機兵がいたが、無視する。
カセイジンはけんまくに負けて、背中にかくれている。
「あら、」
クラデは、まるで訪問を待ち受けていたかのように、扉のほうをむいてソファにかけていた。冠はかぶっていないが、かかとの高い靴にロングドレス、手袋もつけたままで、およそくつろいだ格好には見えない。
「どうしたの? アカリ。」
こともなげに、ほほえんで。
寝室はさらに奥の間であるらしく、寝具はない。ソファのわきには二人用のテーブル、そのむこうにもうひとつ意匠の違ったソファ。それから、部屋のすみに書き物机と木組みの椅子。
書き物机のうえには、やわらかくわらった男の子の写真。姫によく似ている。顔つきも、まあるく輪をかいた瞳も。
「ああ、……これ?」
クラデは、朱里の目線の先を指さして、
「わたしの兄、シロハ王子。12歳のときに、いなくなったの。……詳しくききたい?」
「え、……そうじゃなくて!」
一瞬うなずきかけて、朱里は大声をあげた。
「だましてたのね! 魔法だなんて……、」
「……同じようなものでしょう。あなたにとっては。」
ばかにしたふうでもなく。
しずかに、そういわれて、朱里はきょとんとした。
「え?」
「アカリ。ついてきなさい。ちょっと、一緒に夜風を浴びましょう」
ドレスをひるがえして、さっと立ちあがる。音もなく。
それこそ、夜風のように。




