転移する少女
さて──
時間を、少しさかのぼる。
向田朱里が、はじめてこの世界にやってきたところ。
仰向けにたおれたまま、ぱちんと目をあけると、あたりはうすくらやみ。
いや、
(……蛍?)
そう、つぶやく。緑色のうすい光が、あたりをつつんでいる。転移の残光が目にやきついているのかと思ったが、そうではないようだ。
身をおこし、眼鏡をさがす。二重まぶたをぱちぱち動かして、気づく。眼鏡がない。ただでさえきつい目つきをさらに険しくして、あたりを見回す。天然パーマのかかった髪を右手でかきまわす。ズ・ルの屋敷からついてきた砂のかけらが落ちる。
着替えがおわっていてよかった。そう、思う。ゆっくり、身のまわりをたしかめる。肉に埋め込むように固定された、右手の白い腕輪。パ・ルリがつくってくれた、袖のないワンピースタイプの部屋着と、帯のようにぐるりと巻いた飾り鎖。下着は、デイジーベルでもらったものをまだ身につけている。足元は裸足で、つめたい土の感触がじかに伝わる。
寒い。
砂漠の国では程よかった服装だが、ここでは寒すぎる。それに、暗い。
ここは、どういう場所なのか。
背後から、ぴちょんと、水音。
朱里は、立ち上がってそちらをみた。ぼやける視界に舌うちをしながら、ひざまずいて顔を近づける。水面。池か、湖か。
うす緑の光が、湖面にあたってはねかえる。
顔がうつる。どことなく輪郭が角ばっていて、可愛くない。目つきは鋭く、鼻は低い。唇だけが、やけに紅い。
とつぜん美人になっているなんて、期待していたわけではないが──
(……ちょっとくらいサービスしてくれても、いいんじゃないの)
誰にともなく、つぶやく。こんな目にあっているのに。
「せめて、背が高くなるとか、もうちょっと大人っぽい体型になるとかさあ──」
「きみ、まだ14歳だろ」
肩のところで、声。
朱里はおどろきもせず、かるく視線をむけた。くちばしの長い、四本脚のタコのような生物が、中に浮いている。
宇宙船デイジーベルの技術でつくられたホログラム。朱里は、カセイジンと呼んでいる。
「だって、そうでしょう。一週間ごとに違う世界に飛ばされるとか、無茶苦茶な話じゃない。そんくらいの役得があってもいいと思わない?」
「ちょっと、言ってる意味がよくわからないけど」
「転移のときの不具合でちょっと変わっちゃいましたとか、そういうのでいいんだけど」
言ってから、朱里は顔をしかめて口をつぐんだ。滑っている。
「……で、今回で何回目だっけ?」
「まだ2回目だよ。地球に着くまでには、あと6回ほど転移しないと」
「あと40日以上かかんの? マジかよ」
地球に着いたところで、また別の問題もあるのだが──
ともかく、今は目の前のことだ。
朱里は、あたりをもう一度見回した。薄暗い、湿った世界。夜なのかもしれない。星あかりにしても、うす緑の光というのは妙だ。
光源はどこなのか──
「……あ、の、」
どことなく不自然なイントネーションで、背後から、小さな声。
ふりむく。声のもとをさがす。
「あ、な、た、は、……きょじん、です、か?」
やけに高い声。翻訳機の不具合かもしれない。
ほどなく、声の主は見つかった。
光源も。
それは、奇妙な樹の下にいた。
朱里の身長より少し高い、細長い樹。葉も枝もない。てっぺんで大きく広がって、平らな円い板のようになっている。その円盤のようなところから、うす翠の光がふんわりと広がって、それを照らしていた。
いや、樹というよりは──
「……きのこ、」
朱里は小さくつぶやいた。よく見ると、大きさままちまちだが、そこかしこに同じようなきのこが生えている。巨大な、光るきのこの森。
その、傘の下に、小さなけものが立っている。
ぼんやりしてよく見えないが、後ろ足で直立しているようだ。
「……わたしは、マモー族のナリー。あの、」
翻訳機が調整をおえたのか、だんだん自然な口調になって来る。かなりかん高い、女性の声にきこえる。
朱里は身をかがめて、ナリーと名乗ったものにぐっと顔を近づけた。
もぐら、のように見えた。
手のひらにのるほどの大きさの、直立するもぐらである。手足は、朱里の知っているもぐらより少し長いように見える。毛の色は茶色、のように見えるが、薄暗いうえに光源が緑なのでよくわからない。
灰色の、ゆかたのような構造の服を身につけている。が、覆っているのは上半身だけで、下半身は裸だ。
目はほとんど開いていないようだ。鼻は高く、全体的に丸っこい顔つきをしている。
けもの、いやマモー族のナリーは、びくんと震えて鼻をひくつかせた。
「あ、……あの、族長に!」
かん高く叫んで、あとずさり、よつんばいになって走りだす。
そのまま、きのこの傘の下からでて、どこかへいってしまった。
朱里は、カセイジンと顔をみあわせて、ぼんやりとたちつくした。
*
ふと、空を見上げて、朱里は気づいてしまった。
そして、二日後──




