市場
「外にゆこうよ。」と、カセイジンがいった。
食堂をでて、与えられた部屋へむかおうと歩きだしたところ。朱里はすぐに足をとめて、
「いいの!?」とさけんだ。
「もちろん。姫も、そう言ってたでしょう。」
とたんに、朱里は早足で歩きはじめた。カセイジンが、「こっち!」とさけんで道をしめす。「はぁい、」と上機嫌に。目をぱちぱちとしばたかせながら。
一足飛びに階段をあがる。クロヒナギクと二度、すれちがう。
らせん階段をあがって、廊下を長々とあるき、二度まがり、また廊下をすすんで、ホールへ。
広い広い玄関ホール。天井には豪奢なシャンデリア。もやもやしたあかりに包まれた。
だあれもいない、広いホール。
「……ねえ、」
大扉に手をかけたところで、ふと、足をとめる。
「なんだい、アカリ。」
朱里は口をひらいて、それから何もいわずにまた閉じた。
扉をおしひらく。
明るい、外へ。
*
門をでたところで、ふと、違和感をおぼえて、朱里は一度ふりかえった。
あたりをゆだんなく見はる、黒機兵の、首が、
くるりと、一回転したように見えて。
*
(……気のせいかな?)
朱里は太陽にかざした手をひっこめた。空がゆがんで見える。
雑踏のなかである。
王宮からほど近い、市場通りのなか、名物の簡易店舗がずらりとならぶ。デイジー・ベルでいちばんの繁華街。
店舗のほとんどは食べ物屋、ちょうど昼どきのせいか、なにかが焼ける匂いと、甘辛い調味料のかおりが喉をさす。
足早にあるく人々の動きについていけず、朱里は少しめまいを感じた。空がへんなふうに見えたのも、人けにあてられたせいかもしれない。
馬車がくる。
歩道と車道の区別はないらしい。人々はあわてるでもなく、自然に左右によけていく。
天蓋つきの、大きな馬車であった。
どん、とつきあたった背中にあわてて謝罪する。ふりむいた女と目があう。朱里とおなじ、黒髪、茶色がかった目の、紅いバンダナをまいた女。軽く手をふって、すぐにいってしまう。
目の色、肌の色はさまざまで、あらゆる人種が入り混じったかのように見える。しかし、クラデ王女や国王のような、輪のような眼をしたものはいない。
「あ、これ美味しそう」
朱里は、通りの右手に店を広げている食べ物屋をのぞいて、声をあげた。
串に刺した紅い果物に、調味料をまぶした料理。焼いてあるようにも見えるが、よくわからない。
「買いなよ」
肩のところで浮いていたカセイジンが、軽く言う。
「お金、持ってないもん」
「いいから。」
重ねていわれ、朱里はきょとんと首をかしげたが、すぐに、はずむような足どりで店の前にとりつく。簡易店舗はみな、通りに面したところに大きな窓口があり、商品をそこからわたすようになっている。
「すみませーん、一串ください!」
そう、声をかける。
窓口のむこうにいたのは、紺色のシャツをきた、赤毛の男だった。男の手前がすぐ串焼きの調理台になっているようで、脇によけた皿からすぐ、
「はいよ、」
と串を渡される。朱里は香ばしいにおいにつばをのみながら、
「お代は?」
払えといわれても困るのだが、とりあえず食べてしまう前にと、きいてみる。
「いただいたけど?」
男はふしぎそうにこちらをみて、手元をさすようなしぐさをした。
調理台よりむこうは、ここからは死角である。
朱里は首をかしげたが、それ以上なにも言わずに、串をもったまま歩き出した。
果物にかぶりつく。甘い。かけてあったのは砂糖と、シナモンか。それだけではないようだが。
「……さっきの、どうなってるの?」
もごもごと口の中に果実をおさめたまま、カセイジンにたずねる。
「魔法さ」
きいたとたん、朱里は狷介そうなうなり声をあげた。
「はああ?」
にらみつけると、カセイジンはあわてたように、
「いやあ、……クラデ王女が払っておいてくれてるんだよ」
「……それだけ?」
「それだけさ。ほかに何か?」
「ふうん……」
朱里は、道のはしによって足をとめた。右手に空串をぶらさげながら、にらむように店舗のやりとりを見る。どの客も、金を払うそぶりはない。そのかわり、商品を渡したあと、店員が手元で何かをしているようだ。
……いや、
観察をはじめて、21人目。
串を受け取った客が、店員に何かをわたした。
銅色の、無地のコイン。そのように見えた。
朱里は無言のまま、また歩き出した。
「気がすんだ?」
ちょっとおびえたような声で、カセイジンが訊く。
「……さあね。ほかの場所にいこう」
ふきげんそうにそういって、朱里はまたあるきだした。
塵ひとつない、きれいな土色の地面を。




