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異世界八景  作者: 楠羽毛
幕間
29/206

デイジーベルの夜

 夜──


 デイジーベルの中央にそびえたつ宮殿の最上階。

 王女クラデの私室。もともとは、二間つづきの小さな部屋であったが、いまは改装されて、フロアの半分をしめる大きな生活空間になっている。

 寝室がみっつ、それから応接間、私室がふたつ。書斎と、居間がふたつ。それから、クロヒナギクが、3人。

 ふたりの主人が帰ってきたときには、もう真夜中を過ぎていた。

 クラデ女王と、その兄であり夫の、シロハ。

 輪のようにくるんと穴のあいた瞳をもつ、デイジーベルの王族たち。

「……お疲れ様でした、お兄様」

 クラデは、うやうやしく頭を下げて、シロハにむかっていった。

 午前の結婚式と午後の戴冠式。夕方からは行政関係者と懇談。そのあと密談がひとつ。あわただしい一日であった。

 式のあと一度着替えているが、クラデはまだ王冠をかぶっている。王女のころの冠よりもひとまわり大きく、きらびやかに飾られている。

「きみこそ。……女王就任、おめでとう。」

「お兄様の力あってこそですよ。」

 女王、といっても、絶対権力者ではない。

 デイジーベルを統括する人工知能、デイジーに対する命令権は、すべての王族がひとしく持っているからだ。

 しかし、前王が行方不明になってから、王族内のリーダーシップは、完全にクラデとシロハがにぎっている。

 今日の戴冠式は、ほとんど形式上のものだといってもいい。

 それでも、今日は記念すべき日であった。


 兄妹であったふたりが、正式に夫婦になった日なのだ。


「すぐに、お休みになりますか? それとも──そうだ、」

 なにかいいかけたクラデの声に、かさねて、

「いや、よかったら──」

 シロハ王子が、にっこりと笑っていった。

「地下にいかないか。すこし、景色をみに。」


 クラデは、一瞬、目をまん丸くして、こたえた。

「ええ、ぜひ。お兄様」



 王城の地下は、デイジーベルの外殻へとつながっている。

 デイジーベルは巨大な円筒形である。外殻には、いくつかドーム状に突き出した観測所があるが、ほとんどはデイジーの領域で、人間が入れるようにはなっていない。ここは、唯一の例外である。


「……まあ、きれい。」

 クラデの、すらりとした声。

 遠い星々のきらめきが、足元に散らばっている。


 重力方向は、外側。

 透明なドームの天井が足元にあり、天井に、王城へと続くはしごがある。


「ここに来たのは、……ずいぶん久しぶりだな」

「わたしは、初めてです」

 クラデは、ドームの中心に立って、くるりと周りを見回した。

「地球は、どこにあるんでしょうか?」

 芝居がかった声音で、つぶやいて、両手をさしあげる。

「……ぼくらの地球は、この宇宙にはないよ。」

「そうね。お兄様」


 それは、デイジーベルの悲願。

 多元宇宙をさまよう放浪者となったかれらの、最後の願い。


「お父様も、……どこかで見ていらっしゃるでしょうか。」

「……さァ、」

 シロハは、ちいさくため息をついた。

 クロヒナギクと、一瞬だけ目をみかわして、こつこつとクラデのわきに歩みよる。

 すれちがいざまに、一撃。


「きみが殺したんだろう。」

「お兄様が殺したのでしょう。」


 ほとんど同時に、鋭い言葉をぶつけあう。

 ふたりは、目をあわせないまますこし黙って、それから、


 ちいさく笑った。


「……やめましょう、お兄様。」

「そうだね。」


 クラデは、ぱちんと指を鳴らした。クロヒナギクが、うやうやしくカップをさしだす。クラデは無言で、シロハは「ありがとう、」と小さくいって受けとる。

「……地球は、どんなところでしょうか。」

「さあ、記録はほとんど残ってないし……アカリのことを思えば、なんとなく想像はつくけれど。」

「どういう意味です?」

「……パワーにあふれた星だということさ。きっとね」

「あら、私達よりも?」

 クラデは唇をきゅっとまげて、まんまるい目をシロハの顔にじっと注いだ。

 シロハは、ちいさく笑みを返しながら、


(……この子は、)


 少しだけ、まよう。

 迷っても、仕方がないことだ。

 父王から聞き出せなかった以上は……、いや、


 まさか。


 正面から尋ねようなどと、ばかなことを。

(きみは、ぼくを殺そうとしたのか? だなんて──)


「……ねえ、お兄様」

 クラデの声。

「ん?」

「デイジーベルの未来に、勝利と繁栄のあらんことを。」

 それは、戴冠式の決まり文句であった。

「……なんだい、急に」

「考えていたのです。わたしたちは、地球を取り戻せるでしょうか?」

「不安なのか? 君らしくもないな。」

「……地球は遠すぎます。デイジーベルが、何千年ものあいだ航行を続けても、辿り着けないほどに。」

「そうだね。でも……」

 シロハは、言葉をえらびながらいった。

「アカリは無事に旅を続けているようだよ。このままいけば……」

「……そうですね。とても順調です」

 クラデは首を振って、

「デイジーに急がせていますが、時間も、資源もまだ足りません。いくさをするには、もっと準備が必要です」

「あぁ……、」

 シロハは曖昧にうなずいた。正直、そのことはあまり真剣に考えていなかった。

 といって、時空錨の性能を考えれば、あれ以上いたずらに出立を遅らせるわけにはいかなかった。地球の痕跡が消えないうちに、アカリには出発してもらう必要があったのだ。

「きびしい戦いになるかもしれないな。」

「……ええ。」

 クラデは眉根を寄せて、少しだけ目を伏せた。

「ですから、お兄様には、ぜひとも協力していただきたいのです。」

「それは、むろん……」

「いえ……、」

 こつこつと、クラデはシロハの間近にちかづいて、続けた。

「……本当に、ということです。」

 シロハは口をつぐんだ。クラデのきれいな輪を描いた瞳から目をはずそうとしたが、できなかった。


 たっぷり、十秒。


「……なにを言っているのか、わからないな。」

「そうですか。」

 クラデはにっこりと笑って、背中をむけた。

「そろそろ、戻りましょうか。お兄様。」

「……ああ。」


 城へと戻るはしごへ向けて歩く、クラデの背中をじっと見ながら……、

 シロハは、ためらいながら、ふところの武器をたしかめた。

 無言で、クロヒナギクがわきに近づいてくる。


 二秒ほど迷ってから、シロハはそっとささやいた。


「……中止だ。出口は閉じなくていい」

「かしこまりました」

 無機質な声で、デイジーがこたえる。

「……ありがとう。デイジー」

 ちいさく、シロハはつぶやいた。

 たったひとりの、味方に。



「介入が必要ですか?」

 はしごの上で待機していたクロヒナギクが、クラデにそっとささやきかけた。

「……いいえ。私が勝ったもの」

 クラデは、ちいさくこたえて、そのままはしごを登り続けた。


 デイジー。

 わたしの、いちばんの下僕。

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