デイジーベルの夜
夜──
デイジーベルの中央にそびえたつ宮殿の最上階。
王女クラデの私室。もともとは、二間つづきの小さな部屋であったが、いまは改装されて、フロアの半分をしめる大きな生活空間になっている。
寝室がみっつ、それから応接間、私室がふたつ。書斎と、居間がふたつ。それから、クロヒナギクが、3人。
ふたりの主人が帰ってきたときには、もう真夜中を過ぎていた。
クラデ女王と、その兄であり夫の、シロハ。
輪のようにくるんと穴のあいた瞳をもつ、デイジーベルの王族たち。
「……お疲れ様でした、お兄様」
クラデは、うやうやしく頭を下げて、シロハにむかっていった。
午前の結婚式と午後の戴冠式。夕方からは行政関係者と懇談。そのあと密談がひとつ。あわただしい一日であった。
式のあと一度着替えているが、クラデはまだ王冠をかぶっている。王女のころの冠よりもひとまわり大きく、きらびやかに飾られている。
「きみこそ。……女王就任、おめでとう。」
「お兄様の力あってこそですよ。」
女王、といっても、絶対権力者ではない。
デイジーベルを統括する人工知能、デイジーに対する命令権は、すべての王族がひとしく持っているからだ。
しかし、前王が行方不明になってから、王族内のリーダーシップは、完全にクラデとシロハがにぎっている。
今日の戴冠式は、ほとんど形式上のものだといってもいい。
それでも、今日は記念すべき日であった。
兄妹であったふたりが、正式に夫婦になった日なのだ。
「すぐに、お休みになりますか? それとも──そうだ、」
なにかいいかけたクラデの声に、かさねて、
「いや、よかったら──」
シロハ王子が、にっこりと笑っていった。
「地下にいかないか。すこし、景色をみに。」
クラデは、一瞬、目をまん丸くして、こたえた。
「ええ、ぜひ。お兄様」
*
王城の地下は、デイジーベルの外殻へとつながっている。
デイジーベルは巨大な円筒形である。外殻には、いくつかドーム状に突き出した観測所があるが、ほとんどはデイジーの領域で、人間が入れるようにはなっていない。ここは、唯一の例外である。
「……まあ、きれい。」
クラデの、すらりとした声。
遠い星々のきらめきが、足元に散らばっている。
重力方向は、外側。
透明なドームの天井が足元にあり、天井に、王城へと続くはしごがある。
「ここに来たのは、……ずいぶん久しぶりだな」
「わたしは、初めてです」
クラデは、ドームの中心に立って、くるりと周りを見回した。
「地球は、どこにあるんでしょうか?」
芝居がかった声音で、つぶやいて、両手をさしあげる。
「……ぼくらの地球は、この宇宙にはないよ。」
「そうね。お兄様」
それは、デイジーベルの悲願。
多元宇宙をさまよう放浪者となったかれらの、最後の願い。
「お父様も、……どこかで見ていらっしゃるでしょうか。」
「……さァ、」
シロハは、ちいさくため息をついた。
クロヒナギクと、一瞬だけ目をみかわして、こつこつとクラデのわきに歩みよる。
すれちがいざまに、一撃。
「きみが殺したんだろう。」
「お兄様が殺したのでしょう。」
ほとんど同時に、鋭い言葉をぶつけあう。
ふたりは、目をあわせないまますこし黙って、それから、
ちいさく笑った。
「……やめましょう、お兄様。」
「そうだね。」
クラデは、ぱちんと指を鳴らした。クロヒナギクが、うやうやしくカップをさしだす。クラデは無言で、シロハは「ありがとう、」と小さくいって受けとる。
「……地球は、どんなところでしょうか。」
「さあ、記録はほとんど残ってないし……アカリのことを思えば、なんとなく想像はつくけれど。」
「どういう意味です?」
「……パワーにあふれた星だということさ。きっとね」
「あら、私達よりも?」
クラデは唇をきゅっとまげて、まんまるい目をシロハの顔にじっと注いだ。
シロハは、ちいさく笑みを返しながら、
(……この子は、)
少しだけ、まよう。
迷っても、仕方がないことだ。
父王から聞き出せなかった以上は……、いや、
まさか。
正面から尋ねようなどと、ばかなことを。
(きみは、ぼくを殺そうとしたのか? だなんて──)
「……ねえ、お兄様」
クラデの声。
「ん?」
「デイジーベルの未来に、勝利と繁栄のあらんことを。」
それは、戴冠式の決まり文句であった。
「……なんだい、急に」
「考えていたのです。わたしたちは、地球を取り戻せるでしょうか?」
「不安なのか? 君らしくもないな。」
「……地球は遠すぎます。デイジーベルが、何千年ものあいだ航行を続けても、辿り着けないほどに。」
「そうだね。でも……」
シロハは、言葉をえらびながらいった。
「アカリは無事に旅を続けているようだよ。このままいけば……」
「……そうですね。とても順調です」
クラデは首を振って、
「デイジーに急がせていますが、時間も、資源もまだ足りません。いくさをするには、もっと準備が必要です」
「あぁ……、」
シロハは曖昧にうなずいた。正直、そのことはあまり真剣に考えていなかった。
といって、時空錨の性能を考えれば、あれ以上いたずらに出立を遅らせるわけにはいかなかった。地球の痕跡が消えないうちに、アカリには出発してもらう必要があったのだ。
「きびしい戦いになるかもしれないな。」
「……ええ。」
クラデは眉根を寄せて、少しだけ目を伏せた。
「ですから、お兄様には、ぜひとも協力していただきたいのです。」
「それは、むろん……」
「いえ……、」
こつこつと、クラデはシロハの間近にちかづいて、続けた。
「……本当に、ということです。」
シロハは口をつぐんだ。クラデのきれいな輪を描いた瞳から目をはずそうとしたが、できなかった。
たっぷり、十秒。
「……なにを言っているのか、わからないな。」
「そうですか。」
クラデはにっこりと笑って、背中をむけた。
「そろそろ、戻りましょうか。お兄様。」
「……ああ。」
城へと戻るはしごへ向けて歩く、クラデの背中をじっと見ながら……、
シロハは、ためらいながら、ふところの武器をたしかめた。
無言で、クロヒナギクがわきに近づいてくる。
二秒ほど迷ってから、シロハはそっとささやいた。
「……中止だ。出口は閉じなくていい」
「かしこまりました」
無機質な声で、デイジーがこたえる。
「……ありがとう。デイジー」
ちいさく、シロハはつぶやいた。
たったひとりの、味方に。
*
「介入が必要ですか?」
はしごの上で待機していたクロヒナギクが、クラデにそっとささやきかけた。
「……いいえ。私が勝ったもの」
クラデは、ちいさくこたえて、そのままはしごを登り続けた。
デイジー。
わたしの、いちばんの下僕。




