決断
夕刻──
朱里はズ・ルの私室を訪れた。
それほど、広くはない。窓もなく、薄暗い。壁にも天井にも、食堂にあったような装飾はない。おちついた灰色で、つるつるに磨きこまれている。
部屋のなかには、何もない。
寝台と、私物をいれる収納箱がひとつ、あるだけだ。
ズ・ルは、部屋の中心で、壁のほうをむいて座っていた。
朱里が入っていっても、ふりむきすらしない。
すぐ背後に、朱里がたったとき、ようやく、
「……アカリ、どうした」
と、つぶやくように言った。
「……話があるの、」
「そうか、」
声が沈んでいる。ようにきこえた。翻訳のせいかもしれないが。
「怒ってるの?」
「なぜ?」
「そりゃ、……」
しばらく考えて、朱里は言いなおした。
「……後悔してる?」
「なにが?」
「いいえ、……なんでもない。」
朱里は、すとんとつめたい床に座った。ズ・ルのむかい、壁とのあいだに。
ズ・ルは顔をあげた。むろん、表情は読み取れない。
「……なにが言いたいんだ、アカリ」
朱里は、意を決して、いった。
なるたけ、何も表情にださぬよう。
デイジーベルの王族のように。
「かれらとの和解を、……要求します」
「要求だって?」あざわらうように。「なんの権利で?」
「水袋人として。……そして、あなたに利益をもたらす者として。」
「なんの利益を?」
「……わたしがこの世界にいられるのは、あと三日。」
いわれて、ひと呼吸。
「きみは、神様だったのかい」
「いいえ。でも、そう思ってくれてもけっこう」
「冗談だよ。でも……そう思う人はたくさんいるだろうね。」
「そうね。あなたはそれを利用すればいい。」
ズ・ルは感嘆の声をあげた。
「ねえ、……あと三日のあいだ、私を好きに使えばいいわ。砂漠の街にとつぜん現れた水袋人。大勢のまえで、あなたの都合のいいように喋ってあげる」
「……そのかわり、奴らを許してやれ、と?」
「いいえ、」
朱里は、ゆっくりとほおえんだ。クラデ王女のことを考えながら。
「かれらを利用するの。大きな力をみせつけながらほんの少しだけ譲歩して、そのことを大声でふれまわる。そのほうが、ずっとあなたの利益になるはずよ。あなたは、優しい王様なのだから」
「王様?」ふしぎそうに、ズ・ルはといかえした。そういう言葉はないらしい。
「オアシス・プールを開放しましょう。ただし、年に三回だけ。まつりの日が、少し増えるだけと思えばいい。」
「あんなもの、……いるものか。欲しければ、誰にでもくれてやる。」
「三回だけでいいの。簡単にすべてを譲ってはいけない。そうして、たった三回の譲歩を、最大限に利用しなさい。私をいいように使って。弱腰でなく、優しく、知恵のある支配者を演じなさい。これまで、ずっとそうしてきたように。」
かさねて、朱里はいった。必死で頭を回転させて。
「誇りではなく、名誉をとりなさい。ズ・ル。ハ・ル・シティの民を、誰よりも愛しているのは、あなたでしょう」
ズ・ルは安心したようにわらい声をあげた。
朱里は、考える。
この笑い声も、翻訳機を通したものだ。
かれらの表情は、わたしには読めない。
翻訳機がかれらの言葉にこめた感情を正確に伝えているのか、確認する方法はない。
それでも、……
*
パ・ルリは別室にいた。
食堂の裏。作業場として、ズ・ルがあたえた部屋である。
このところ、パ・ルリはこの部屋にいることが多い。
「……、アカリさん。」
パ・ルリはゆっくりと立ちあがった。
テーブルをはなれて、歩きだそうとするのを、手をかざしておしとどめる。
朱里は、口を開いた。いままでにないくらい、真剣な顔をして。
「パ・ルリ、あなたに話があるの」




