湖岸
遠くで、滝の音。
広いひろい湖。対岸はかすんで見える。湖岸線は入り組んでいて、湖の中心と思われるところまで、陸続きで行けるようになっている。あちこちに橋、土蔵造りの建物、
そして、湖の中心には、塔。
5階建てくらいの高さか。これもまっしろの素っ気ないつくりで、窓がいくつかあるばかりだ。ただ、頂上近くに、大きく張り出したバルコニーとそれを守る屋根がある。
目をこらす。
白、とみえたが、よく見るとところどころ緑がかっているようだ。苔むしているのか。苔。この世界にきてから、他の場所ではついぞ見たことがない。それから、表面が揺れている。陽炎か、と一瞬おもうが、違う。
塔の頂上から、壁面をつたって、大量の水が流れ落ちているのだ。滝の音と聞こえたのは、それだった。
陸地に面した一面には大きく水よけが張り出しており、水は残りの3面を勢いよく流れて湖におちている。距離があるので音はあまり聞こえないが、ちょっとした滝のようだ。
「……すごぉい、」
朱里が目のうえにかざした手をどけて嘆息すると、パ・ルリが驚いたような声をあげた。
「ここから塔が見えるんですか?」
「うん、まあ。一応ね。」
むろん、朱里も目が悪いから、裸眼では見えない。眼鏡をかけているから、なんとか見えるのである。
「私には、とても。水袋人は、目がよろしいのですね」
風の民の目は大きいが、瞼がなく直接砂にさらされることもあってか、硬く乾いている。だいたいいつも砂がついているし、あまりよく見えていないのかもしれない。
してみると、この光景も、もしかするとまったく違うように見えているのか。
朱里は、あたりを見回してみる。原っぱのなかに石畳の遊歩道、それから針葉樹が少し。この世界にもこんな風景があったのかと感嘆する。足元は砂地ではなく、ちょっと固めの普通の土のようだ。
直射日光はあいかわらず強いが、水気と緑のせいか、あまり暑くは感じない。樹のかげに入れば、風があって涼しいとすら感じる。
この全てが、ズ・ルの所有物であるらしい。
(本当に、大金持ちなんだ。)
水ひとつとってもそうだ。朱里がひといきに飲んでしまうようなわずかな水でさえ、庶民にはひと財産であるらしい。それが、ここには溢れるほどある。にわかには理解しがたい状況である。
ふと、自分が身につけている鎖が目にはいる。緑、赤、紫。米粒ほどの小さな石が、たくさん埋め込まれている。これも、高価な宝石なのだろうか。
横にすわっているパ・ルリをみて、ふと、
「……、パ・ルリはさぁ」
ぞんざいな口調で、声をかける。
「アクセサリとか、つくってたんでしょ」
「はい。今でも、作らせていただいてますよ」
パ・ルリの返答はあくまで丁寧であるが、少しうちとけてきたようにも感じる。
「ズ・ルのあの王冠みたいなヤツも、あなたがつくったの?」
「おうかん、ですか」
「帽子みたいな。あの、ごてごてしたやつ」
「あれは、私ではないですよ。」
「だと思ったァ」朱里はおおげさに腕をくんでうなずいた。
「というと?」
「感じが違うでしょう。7つも8つも、いろんな種類の宝石を散らしてさ。ズ・ルの首飾りとか、肩の輪っかとか、宝石は入ってるけど、単色でしょう。あれが、パ・ルリの作風なんじゃないの」
「そうでないものも、作ることはありますけど。」
パ・ルリは少しうれしげな口調で、
「ひとつひとつの品は、あえて目がとまらぬように。全身そろって初めて、輝くように見えればよいと、父から教わりました。それが、ズ・ル様の好みにも合いましたようで。」
「それじゃ、あの帽子は。」
「あれは、ズ・ル様が経営なされている装飾品店のものです。ああいうものを身に着けてみせなければならないのは、お辛いところですね。まあ、いろいろと立場がおありですから──」
「ふうん。」
朱里は、ちょっと意外そうに眉をあげた。
「あなた、結構言うのね。」
「……貴方ほどでは。」
言われて、朱里はちょっと苦笑した。
「わたしは、よそ者だもの。」
「悪い意味ではございませんよ。ズ・ル様は、あなたのような女性がお好きなようですね」
かすかな棘のようなものを感じて、朱里はおどろいた。
「ズ・ルは、あなたがお気に入りだと思っていたけど。」
「召使いとしては、そうかも知れませんが。」
やっぱり、口調にちいさな棘。
もちろん、表情は読めない。ことばの翻訳は腕輪のコンピュータが担っているはずだが、
ニュアンスまで正確に訳されているのかどうかはわからない。
ともかくも、朱里はすこし嬉しくなった。
ようやく、パ・ルリと親しくなれた気がして。




