過去
ギマとパ・ルリは、ハ・ル・シティの西部で、宝飾品店を経営していた。
細鎖や肩輪、冠、足首にはめる飾り輪。ほかから仕入れたものも売るが、主な商品はギマやパ・ルリ自身がつくったものだ。そういう店だった。
店は、50年ほど続いていた。
風の民の寿命はとても長いが、50年という年月はやはり重い。
経営がうまくいかなくなったのは、ズ・ルの店が、本格的に宝飾品を扱い始めてからだ。
もともと、ズ・ルの家系はハ・ル・シティ有数の資産家であったが、ズ・ルの代でさらに多くの業種に手を広げた。宝飾品事業は、そのひとつにすぎなかったが、高級品から安価な品まで手びろく扱ったので、業界への影響は大きかった。
ギマの店は、しばらくは保ったが、やがてたちゆかなくなった。
商品の質はあきらかにギマの店のほうが上で、値段もそれほど遜色なかった。
ただ、
『あのかたは、宣伝が上手ですから──』
パ・ルリは、そうとだけ言った。
正当な宣伝行為ではなかったのかもしれない、と朱里はおもったが、それ以上くわしくは聞けなかった。
そうして、パ・ルリは、ズ・ルのもとにゆくことを決めた。
*
「……それは、召使いとして、ということ?」
朱里は、言葉を濁した。パ・ルリは否定した。
「いいえ。……ですが、あのかたは、私を……いいえ、他の誰に対しても、そのようには接しません。それは、今でも……」
*
パ・ルリは、身売りするつもりでズ・ルのもとを訪れた。しかし、ズ・ルは彼女を、召使い兼、プライベートな宝飾品職人として迎えた。
パ・ルリの望みは、ズ・ルが宝飾品事業から手をひくことであったが、叶わなかった。そのかわり、ズ・ルは潰れかかったギマの店を、破格の値で買いとった。
ギマが、今後働かずとも死ぬまで生きていけるくらいの額で。
そうして、ズ・ルはこの事実を、徹底的に利用した。
美談として。
*
「……あのかたは、自分が世間からどう見られているかを、ひどく気になさいます。もちろん、商売のために必要なことですが、それ以上に──」
パ・ルリは言いよどんでことばをきった。それから、
「……あのかたは、こと女性に関しては、清廉潔白です。しかし、周囲からそう見られることを望んでいらっしゃいません。父も、誤解しているようです」
「……誤解をとくつもりはないの?」
「誰も、それは望んでいません。ズ・ル様も、……それに、たぶん父自身も。
それに……。」
「一度は、私もそういうつもりで、この屋敷に来たのですから。」
*
部屋にもどってから、朱里はぼんやりと、ギマとのことをおもいだした。
*
ギマの家で目覚めてから、しばらく後──
ようやく与えられた、握りこぶしほどの袋に一杯の水。飲み終えてから、ギマとすこし話をした。
「……ほかの世界からきたの。」
と、朱里はいった。他にいいようがない。
「そうか、」と、重たい声でギマはこたえた。
「自分の世界に帰るのに、まっすぐ帰るルートはないんですって。だから、いくつかの世界を経由して、ワープをくりかえすの。この腕輪でね」
朱里は、頭がぼんやりとしていたが、饒舌であった。
「……家族のところに、帰るのか。」
「うん、」
「家族は、」
「弟がいる。あと、両親。とくべつ仲がいいわけじゃないけど……」
「そうか、」
「あなたは、家族は?」
「いや……、」
「……ふうん。」
「……故郷は、どんなところなんだ」
「そうね、……植物がゆたかで、建物がたくさんある。」
「植物か、……そうだな。このあたりでも、すこしは採れないこともない。からっ草とか、空玉とか、そんなのだ。空玉は、罠をしかけて採る。あんたを拾ったのも、そのときだ。」
「ふうん……、」
*
話しおえてから、朱里は、少し眠った。スーツを脱ごうかと思ったが、暑くて耐えられそうにない。それに、ずいぶん汗をかいたはずだが不快感は全くない。汚れを吸収する機能でもあるのかもしれない。
目を覚ますと、ギマは部屋のすみで、猫のように丸くなっていた。
眠っているのか。
微動だにしない。近くに寄ってみたが、どうも、呼吸をしていないように思える。
そっと触れる。つめたい。
しばらく、そうして見ていたが、やがて朱里はあきらめて、また眠った。




