停止プロセス
「減速、」
誰にきかせるでもなく、そう呟く。
いちおう、録音はされている。それに、すべての操作行為は、確認のために口に出すことを推奨されている。
この実験船にのっているのは、たったひとり。エマ=ブラウン。わたし。専門の宇宙飛行士ではなく、エンジニアですらない。軌道エレベータ上のステーションで訓練を受けただけの、素粒子物理学者。27歳の未婚の女。
新型エンジンを使っての加速実験。太陽系を飛びだして、銀河のかなたへ。観測ではなく、ただ、物理理論の検証のために。だから、わたしが乗ったのだ。超光速物理学研究の前線にいて、長期間の単独行にいちばん支障がないのが、わたしだったから。
正確には、志願したのだが。志願者のなかで、もっとも適性があったのが、わたし。
主観時間で、およそ62日。いまは、さいごの詰めの段階だ。
減速のための計算と簡易チェックリストに半日かかった。そのあと、再チェックを繰り返して2日。おおむね、予定どおり。
計算結果も、ほぼ予測の範囲内。少なくとも、想定していた7つの解のうち、いちばんマシなものに収束しているようだ。
実験エンジンの稼働誤差、約3パーセント。それだけが、気になる。
「超光速エンジン、停止」
口に出しながら、カバーを開けて灰色のボタンを押す。実験エンジンの操作系のうち、これだけが物理ボタンだ。
超光速エンジン、という用語はあまり好きではない。詐欺的だからだ。船の速度はせいぜい亜光速にすぎない。ただ、加速する過程で、超光速粒子が発生している、はず、というだけだ。
われわれには観測できない領域で。
理論上、このエンジンからは超光速粒子が放射されていて、船が加速するのはその反動である、……はずだ。ただ、超光速粒子に与えられたエネルギーを観測する方法がないので、一方的に加速しているように見えるだけ。
さて、実験エンジンは停止したようだ。ブウン、という低周波音が消える。完全に止まるには数時間かかるが、もう、やることはない。
同時に、イオンエンジンが起動プロセスに入る。これも、実際に動作を始めるまでには時間がかかるが、操作側でやることはない。全てコンピュータ制御だ。特段、人力で計算する必要もない。ひと段落だ。




