目覚め
(前章までのあらすじ)突然、平行世界へと転移してしまった女子中学生、向田朱里。世代宇宙船「デイジーベル」に住む未来人の技術で地球へと帰れることになったが、未来人たちにはある企みがあった。長年の間に地球の座標を見失ってしまった未来人は、朱里の痕跡をたどって地球に戻り、実力で支配しようとしているのだ。
ともあれ、朱里は地球へ帰らねばならない。右手に埋め込まれた腕輪が、朱里を地球まで転移させてくれるはずであったが……。
じんわりとした熱気が、首筋からあがってきてまぶたを刺す。
この屋敷は水気があるので、外よりはずいぶんとましである。寝室には、直射日光もあたらないようになっている。しかし、日本の真夏とは、くらべものにならないほど鋭い。
蒸し暑い、という感じはしない。ただ、肌を灼かれている。
目をあける。
朱里は、からからにかわいた喉をうごかして、少しせきをした。汗はない。しかし、肌には白い粉が吹いている。朝のひざしで、すっかり乾いてしまったらしい。
少し、頭がいたい。まだ体調が悪いらしい。
寝台は石づくり。この世界には、木造の家具というものはないらしい。大きな一枚岩を切りだしたような、切れ目のない直方体。マットレスも布団もないが、まあ、清潔な分、床に寝るよりはましという程度だ。
身をおこす。
向田朱里、14歳。年にしては背が低い。小学生のころから、あまり体格はかわっていない。顔だけ大人びているような気がする。二重のまぶた、やけに紅いくちびる、低い鼻、四角い顔。目つきが悪いのもコンプレックスだ。
体を包んでいるのは、くすんだ煉瓦色の布。薄手の絹のように見えるが、肌ざわりは粗い。一枚布をてきとうに巻き付けて、腰と首もとを紐でとめている。寝ている間に緩んで、ほとんどほどけてしまっているが。
枕元を探って、眼鏡をさがす。手に当たるのは、布の感触。そういえば、着替えを用意しておくと言われていた気もする。
眼鏡は、少し離れたところにあった。黒縁の、フルリム。レンズに少しキズが入っている。洗浄はしてもらったが、さすがに直すのは無理らしい。
かけて、見回す。
石の壁、石の床、ドアのない入口。
置いてあるのは、寝台だけ。殺風景を通り越して、倉庫か牢のようだ。
髪をちょっと触ってみる。べとべとに濡れている。やはり、汗はかいていたらしい。どうせ、手のつけられないくせっ毛であるが、このままでは気持ち悪い。
ともかく、着替えである。
下着は、この世界に来たときに身に着けていたものしかない。前にいた世界で手に入れたものだが、どういうわけか全く汚れない。自動洗浄機能でもついているのか。いちおう、夜の間に洗濯もしてくれたようだが。
となりに畳んであった布を持ちあげると、ちゃんと袖が縫われて、前あわせの甚兵衛のようになっている。
着てみる。裾がやけに短い。これでは、まるでミニスカだ。
(……服を着ない種族はこれだから。)
小さく愚痴をこぼすが、口元はほころんでいる。
そういえば、あいつがいない。見回すと、寝台のわきに転がっている。
カセイジン。小さな、四本脚のタコのような、謎の生物。いや、生物なのかどうか。
朱里は、右手にはまった白い腕輪をじっと見つめた。陶器のように見えるが、手荒に扱っても傷ひとつつかない。腕との境目をよく見ると、癒合している。
この腕輪のなかに、世界をわたる機構がはいっているのだ。
カセイジンの姿は、朱里にしか見えない。してみると、この腕輪の力で生み出された幻覚なのかもしれない。
ともかくも──
「起きろ!」
カセイジンの頭をつまみあげて、耳とおぼしきところにむけて叫ぶ。
ふれた感触は、つるつるしたビニールか何かのよう。
幻覚とは、思えない。
「わあっ!」
カセイジンが高い声でさけぶ。くちばしのある丸い口。流暢な日本語にきこえる。
「びっくりした。もうちょっと寝かせてよ。」
羽もないくせにふわふわと浮いて。
「あんた、寝る必要あんの?」
「さあ?」
全く、いいかげんな──
朱里はカセイジンの頭を軽く叩いて、寝台からおりた。靴下はないので、素足にじかにスニーカーをはく。これだけは、生まれたところから持ってきたものだ。
のびをする。
鏡もないのでいいかげんだが、いちおう髪をすこし整えて、
外へ。
*
水の音。
部屋の外は、もう屋外である。地面よりすこし高いところに、石造りの渡り廊下がずらりと続いている。屋根はない。この地域では、雨が降ることはほとんどないからだ。
その、渡り廊下に沿うように、小川がある。
むろん、人工の水路である。水量はさほどない。
小川のそばは、セメントのようなもので固めてある。それ以外の地面は、すべて砂地である。庭のアクセントに、大小さまざまな岩が置かれて、遊歩道のようになっている。
植物はない。苔ひとつ、見える範囲には生えていない。
「お目覚めですか、」
すずしい声。
ふりむく。そこに、怪物がいた。
怪物、としか言いようがない。身長は2メートルをゆうにこえ、肩幅はひろく、下半身は細い。茶色の肌にはびっしりと小さな穴があいている。顔には、大きな複眼がひとつ。まぶたはなく、乾いているように見える。鼻はなく、ぱっと見には口もわからない。大きなしっぽの先に、鉤爪状の器官。
風の民。この、砂漠の世界に住む種族である。
「お食事を。ご案内いたします」
風の民は、全身の気孔をふるわせて発声する。
人間の声とは似ても似つかぬ異音であるが、朱里には、若い女性の声にきこえる。
腕輪に内蔵された翻訳機のおかげである。
「ありがとう。」
朱里はにっこりと笑って、彼女のあとに続いた。




