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異世界八景  作者: 楠羽毛
海の世界
121/206

蟻の神話

 火がなければ、ないなりに。

 魚のさばき方など知らないが、ともかくナイフを入れて、肉をこそげ取る。包丁よりずっと切れ味のよい青い刃は、メスのようにすっと軽く入っていく。

 刺身である。少なくとも、そのつもりだ。

 食える魚なのかどうかも、知らない。身は白くて、うまそうには見える。

 ハギアは、また海に入っている。素手で10匹も魚をとって、まだ飽きないらしい。貝も集めてきた。ここらの海産物は、よく知っているらしい。

 刺身のひとかけを、ちょっとかじってみる。身は硬めで、うまい。うまいが、

(……醤油、ほしいな)

 そう、思う。醤油など、もう何週間も口にしていないが……、

「海水で塩味つけたらどうかな」

「やめときなよ」

 カセイジンが即座に否定する。朱里はこっそり舌打ちした。

「朱里!」

 ざばざばと音をたてて、ハギアがあがってくる。全裸である。

「これ、どうしたの?」

 おおざっぱに髪を絞るようにして水を落としてから、とんとんと、まな板にしていた木をつつく。

「そのへんの木だけど」

「こんなに平らなのが転がってたの?」

「ちょっと、削ったの。これで」

 青いナイフをみせる。刃はかすかにぶれて見える。魚の脂も、ついているようには見えない。

「……これで?」

 ひょいと、刀身をつまみあげる。刃に指をおしつける。切れない。

「……貝じゃ、ない」

「貝?」

「これ、何なの?」

「何っていわれても…」

 知るわけがない。ともかく、そういう素材だ。金属かどうかも。

「ふうん……、」

 ほんの数秒、刃をじっと眺めて、

「食べていい?」

 すぐに興味が移る。朱里がうなずく前に、刺身をふた切れ、まとめて取って、口に入れる。満足そうに顎を動かして、それから、座る。砂の上に、じかに。

「服、着たら?」

「まだ乾いてないし」

 朱里は一瞬考えて、体のことだと気づく。服はそもそも濡れていない。

「……これ、使って」

 鞄から布をとりだして、放ってやる。デイジーベルでもらった、吸水性の高い厚布である。 

「え?」

「体、拭いて。服、着てよ」

「ああ……」

 しばらくきょとんとしてから、立ち上がって、首もとに布をあてる。それから、少しぎこちない手つきで、胸、腹、手足。

 拭き慣れていない。なんとなく、そう見える。

(異文化!)

 なまじ翻訳機があって、人間がましく見えるので忘れそうになる。異種族だ。

 いや、そもそも──、

「……体、だいじょうぶ?」

「なにが?」

「いや、その、違和感ていうか……」

「ぜんぜん!」

 てきぱきとぼたんを留めながら、ハギアは大きな声でこたえた。それから、ぐちゃりと手で刺身をいくつか握って、口へ。

 朱里は、一瞬だけ眉をしかめて、思い直した。──異文化!

 自分も食べようとして、手づかみをするしかないことに気づく。箸も作っておけばよかった。

 べつに、無理して食事をとる必要はないのだが──、

「……調子、いいんだよ。なんだか──」

 勢いよく、咀嚼したものを飲み下しながら。

 砂の上で伸ばした脚をもてあますように、ごそごそと爪先を動かして。

「そうなの?」

「うん。感覚がぜんぜん違うの。……ねえ、朱里はこんなふうに見えてるの?」

「うーん……、」

 こんなふうに、と言われてもこまる。

「こんなに明るいのに、ぜんぜん痛くないし……」

「……まぶしくない、ってこと?」

「んー……」

 黙りこむ。そのまま、数秒。

「──ねえ、あれ!」

 ハギアは、とつぜん沖のほうに手をかざした。

「なに?」

 朱里も目をこらす。なにも見えない。波と、水平線だけだ。

 いや、遠くに鳥の群れ。あれのことだろうか。

「あの向こう、どうなってるの?」

「え……、」

 なんと答えたものか。

「……ねえ」

 話題をかえることにした。

「あなた、……どういうところから来たの?」

 ごまかすつもりはないが、ともかく、そこからだ。

「うーん……」

 ハギアはしばらく唇を動かしかけてはやめ、ようやく口を開いた。

「……せまいとこ、かな?」

「ええ?」

 聞き方が悪かったかな、と思い直す。

「……狭いところって、地下、とか?」

「んー」

 また、しばらく沈黙。それから、咀嚼音。飲み込んだあとで、

「……それ、よくわかんない」

「えー……、」

 翻訳機の調子がおかしいのだろうか。それとも、語彙が。

「もしかして、穴の下、から?」

「うん」

 こんどは正解だったようだ。

「じゃあさ──」

「ねえ、」

 つづいて問いかけようとするのをハギアがさえぎって、

「朱里は、……蟻と生活してた人、なの?」

「……蟻?」

「ちがうの?」

「なに、それ。なにか……隠語?」

「えっと……。神話。聞いたことない?」

「ない! 教えて」

「えっとね」

 ハギアは目線をさまよわせた。ちょっと上をむいて、まぶたをとじる。

 また、数秒。いや、数十秒。じりじりと待つ。

「……わたしたちの、先祖の話」

「わたしたち?」

「わたしたち。ドレスの人も、ボーデの人も。辺境も」

「……それで?」

「わたしたちの先祖は、どこかほかの場所から来たんだって。その前にいた人たちは、蟻に囚われて……、蟻の手下になって、生きてたんだって。わたしたちの先祖が、蟻をやっつけて、その人たちを解放したの」

「へえ……蟻、見たことあるの?」

「あるわけないじゃん」

 なるほど、と首を振って、朱里は眉をしかめた。蟻。翻訳機はそう言っている。とりあえず、保留にしておこう。

「その、解放された人たちっていうのは、どうなったの?」

「知らない。だから、朱里がそうなのかなって、思ったの」

「ふうん……」

 とりあえず、こんなところか。

 先のことは考えないことにして、会話を打ち切る。いつのまにか、刺身はほとんどなくなっている。水でも飲むか、と鞄に手を伸ばす。

「ねえ、」

 ふいに、低い声でハギアがつぶやく。

「朱里は、──どこから来たの?」


 なんとも、答えようがなかった。

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