デイジー
朱里は、こんな夢をみた。
寒空、かすかに、雪が降っている。
少年が、路上に倒れ伏している。
肩口に、傷。ぼたぼたと、暗い色の血。
痛みは、あまりない。
死ぬのか。
そんな思いが、頭をよぎる。
最後の力をふりしぼって、かよわい声をだす。
父さん、でも、妹、でもなく。
「デイジー、……」
と。
いらえはない。
やはり、自分は死ぬしかないのだ。そう、思う。
肩の傷が、どの程度なのか、よくわからない。
出血はひどいが、思ったより痛みはない。
足が痛むが、これはひねったか何かで、怪我をしたわけではない。
しかし、生きられる気はしなかった。
それから、動けずに、長い時間、伏していた。
視界がかすみはじめたころ、ようやく、
『お呼びですか、王子』
無機質な声が、耳にはいる。
ほんの少しだけ、顔をあげる。黒いハイヒールをはいた足。クロヒナギク。
「デイジー、……ここは。」
ぼんやりした頭をけんめいに動かして、そう問う。
『生産エリア1023の東北、王城のほぼ反対側です』
(工場地帯か……、)
そんな気はしていた。一度も来たことはないが、人間の気配がなく、窓のない建物がたちならぶ風景から、だいたい予想はついた。
『診察をいたします、王子』
クロヒナギクはひざまづいて、王子の肩に触れた。ヴェールのむこうに、無機質なうつくしい顔。もちろん、王族の瞳とはちがう。今はそれが無性にうれしかった。
すこし、元気がわいてきた。しゃがみこむようにして上体をおこす。衣服をめくって、クロヒナギクのつめたい指が傷口近くをさぐる。
『治療が必要です。医療施設まで移送します』
「……待ってくれ、デイジー」
王子の目に、ふっと生気がやどった。
くろい、つよい思いをこめた決断が、ひとみの奥に。
「工場地帯から出たくない。人目につきたくないんだ」
なぜです、とはデイジーは問わない。それは、彼女の仕事ではないからだ。
『それでは、必要なものを運ばせます。二軒となりの倉庫に、暖房がきくスペースがありますから、そこを使いましょう』
「ありがとう、デイジー」
ふつう、王族はデイジーに礼などいわない。
けれども、今は特別だ。もちろん、クロヒナギクは表情をかえたりはしない。
「もうひとつ、」
『なんでしょう、王子』
「ぼくの居場所は、絶対に、誰にも知られないように。王族にも」
『いつまでですか?』
「ぼくがいいと言うまでだ。ずっと、永久にかもしれない」
王は、あるいは妹は、当然、デイジーに命じて自分を探させるだろう。
デイジーは王族の命令に従うが、命令が矛盾した場合にどちらを優先するかは、デイジー自身が判断する。
『かしこまりました』
特に間をおくこともなく、クロヒナギクはそう答えた。
「王族から、ぼくを探すよう命令があった場合は、ぼくに知らせるように。」
『かしこまりました』
よどみない返答。
王や王女から命令されたとしても、自分の命令を優先する、ということだ。
デイジーがそう判断した理由は、わからない。
「……ありがとう、デイジー」
もういちど、王子はそういった。
いまや、唯一の味方となった、母なる機械生命体に。
ただの、夢の話である。
それだけ。