サイレンのような吠え声
もう一度、リュックから『テント』を取り出す。
掌におさまるほどの、つるつるした、灰色の球体である。
球体の表面、一か所だけへこんだところがある。指をさしいれて、押す。
わずかに、大気がゆれる気配。そよ風、いや、もっとやさしい何かが、ふわっと広がるような。同時に、日差しが、わずかに柔らかくなる。
手を離す。
球体はそのまま浮いている。目に見えない支柱か、釣り紐でもあるのか。
この球体の、周囲20メートルほどの範囲が、『テント』の中である。
雨や強風は、この中に入って来ない。気温も調整される。横になれば、見えない『床』がふんわりと体を包む。外からは中の人間の姿は見えず、さらには侵入者を防ぐ機能もあるという。
いたれりつくせりだ。
さて、女は、そのまま地面に伏している。
首筋がはげしく動き、苦しそうな呼吸音がひびいている。雪のように白い肌の
まぶたのない、眼球のようなものが、ぴくぴくと。
か、
と小さな音が、テントのなかに響く。
女の喉から。いや、
喉は動いていない。そうではなく──、
──轟音!
朱里は反射的に耳をおさえて後ずさった。高い声。いや、遠吠え。いや、もっと高い。頭がいたくなるような、強い音が、どんどん大きく──、
「やめて!」
後ずさりながら、叫ぶ。止まらない。また、叫ぶ。
叫び声をかき消すように、サイレンのような吠え声がさらに強くなり、さらに──、
後ずさる。耳をふさぐ。それでも、声は止まらない。反射的に目をつむっていたことに気がつく。懸命に、瞼をあげる。
すぐ目の前に、女の白い顔があった。
青い血管が、鼻筋をつうっと浮かび上がらせて。まぶたのない目、いや、眼球にはとても見えない、白い肉のかたまりのようなものが、こちらを向いている。
見て、いるのか。
それから、気づく。女は、口をとじている。喉も動いていない。それでも、高い音は止まらない。これは、声ではないのか。
後ずさる。
右手を鞄のあるほうへ伸ばす。が、届かない。足が震えて。
女が、指の長い、大きな手を伸ばして──、
どう、と倒れた。
声がやんだ。朱里は、しびれるように痛む耳をおさえて、膝をついた。うつぶせに倒れて動かなくなった女の白い短髪が、指にふれる。湿っている。汗か。
女は、動かなくなった。