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異世界八景  作者: 楠羽毛
海の世界
105/206

海中の顔

 季節はわからない。ただ、日差しはとても強くて、かわいている。

 潮風。地球の匂い。そんな気がする。生まれた町が、港町だったからか。

 朱里は、海岸に寝そべって、ぼうっと空を眺めていた。青空。雲が、かすかに遠い視界のすみにみえる。筋雲だ。

 背中の下には、ざらざらした砂の感触。ここの砂は、故郷の砂とはちがう。一様に濃い茶色で、爪の先ほどの塊。硬いようだが、指でつぶすと、ぐずぐずになって溶ける。

 朱里が着ているのは、デイジーにもらった密着服だ。足先から首元、指先までくまなく覆う、つなぎ目のない全身スーツ。光沢のない、銀色の。あわせ目も背中のスリットも、どこからも見えない。そのかわり、回路図のような、曲がりくねった線がべったりと乗っている。

 砂が、直接に背中にあたっているように感じる。風も。まるで、裸でいるようだ。外側から生地にさわると、分厚い革のようなのに。

 立ち上がる。

 小柄な少女である。同年代の平均よりはほんの少し太く、起伏のない体のうえに、大人びた目をした顔が乗っている。頭は小鳥の巣のよう。この世界に転移してまだ半日もたたないのに、丁寧になでつけられた髪はもう砂まみれで、ぐちゃぐちゃに乱れている。

 まつげが長い目のうえには、奇妙な眼鏡。木製で、ちょうつがいも鼻あても無い。きつめのフレームを、ぎゅっと顔におしつけてかける。丁寧に手で削られた。きつい、にらむような視線を隠して。

 向田朱里。14歳。地球を出て並行世界を旅する少女である。宇宙船、砂漠、地の底、箱舟、夢の中。この海岸で、ちょうど6つめ。来週にはここも去る。

 鼻の低い、四角い顔をすっと水平線に向けて、眉根を寄せている。

「なにを考えてるの?」

 朱里の顔の横に、タコのような生き物が浮いている。

 灰色で、四本足の。くちばしも、目も、漫画のように丸っこい。

 いや、いるように見える。朱里には。

 朱里の身につけた腕輪の力で見えている幻覚、人格付きホログラム。カセイジン、と呼ばれているが、むろん火星とは関係ない。宇宙船デイジーベルの生まれである。

「なんにも。……ううん」

 砂を踏んで、歩き出す。裸足で。いや、足の裏まで銀色のスーツに覆われているのだが、まったく感じない。

「ちょっと、泳ごうかなって」

「ええ?」

 カセイジンは、ばたばたと脚を動かしながら上下に動いた。

「やめなよ。何がいるかわかんないよ」

「今までそんなこと言ったことあった?」

「なにを──」

 朱里は足をとめて、ふりかえった。ひょいと右腕をあげて、銀色の袖をカセイジンに見せつける。

「これ、ウェットスーツでしょ?」

「え⁉ いや、確かに、そんなふうにも見えるけど──」

 海水に足首をつける。冷たい。

 空気が涼しいので、気持ちいいというほどではない。が、不快でもない。この感覚もスーツに調整された疑似信号ではないかと不安になる。ともかく、水底をふむ。じわりと水が流れて砂が逃げる。

 波が膝をつつく。楽しくなって、ざぶざぶと前に進んでゆく。

「泳げるの?」

「いやあ、あんまり」

「ちょっと!」

 カセイジンが悲鳴をあげる。かまわず、進む。

 足元を、じいっと、見る。ちいさな魚のかげが、足のあいだをぬけてゆく。それから、緑のくず。海藻のかけらだろうか。

 あ、と声をあげる。

「眼鏡! 持ってて」

「持てるわけないでしょ!」

 なあんだ、と小さく笑って、海岸までかけ戻り、置きっぱなしのザックの上に放って、ふたたび水の中に。

 こんどは一気に、胸がつかるところまで。

 水は澄んでいる。これだけ近くても、眼鏡なしではほとんど見えない。きれいだな、と思う。にじんで、万華鏡のよう。

 顔を水につける。足を土からはなす。

 とん、と跳ぶようなイメージで。

 塩水が目にしみる。こらえて、まぶたをひらく。

 足がつかない。

(わ……!)

 ばたつきながら、あわてて向きをかえようとする。

 深い。

 パニックになりかけて、下を見る。

 深い。

 底が見えない。こんなに水が澄んでいるのに。

 がぼ、と口から息が漏れる。

 右脇を、何かがぬけていく。魚だろうか。ぐるりと体が反転して、頭が下に。いや、どちらが下か、よくわからない。明るいほうが上、暗いほうが下か。

 なにも見えない──、


 いや、見えた。顔が。


 どくんと、心臓が跳ねる。体が硬直する。なにか、大きな動物の顔。鼻がつんと突き出して、皺の深い。

 鮫。いや、魚には見えない。なんにしても、大きい。

 朱里の体よりも、ずっと──


 がぼん。


 とつぜん、顔が水面にでた。浮力。

「大丈夫⁉」

 カセイジンの声が、水のつまった耳にひびく。スーツの安全装置が働いたのか。そんな機能があるなんて、聞いていなかったが。

 ぞくり、と震える。


 もう一度、水底に目を向ける。こんどは、水面から。

 何も、見えなかった。

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