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異世界八景  作者: 楠羽毛
夢の世界
100/206

デイジーベルの奉仕者

 まっしろな廊下。文字どおり塵ひとつない。足元は目地のない平らかな床、天井は全面がうすく光って、円周状にぼんやりと影が。

「……最後の一人が眠ってから、今年で四千八百六十七年になります。」

 しずかな声。さえぎるように、デイジーのかかとが音をたてる。


 こつん、

  こつん。


「……どこの暦で?」

 朱里は、長い脚で先をあるくデイジーの背中にむけて、問い返した。

 どうでもよいこと。とは、思いながら。

「地球のですよ、もちろん」

「地球? じゃ西暦? 今って──」

「西暦って何ですか?」

 しばらく、沈黙。話題をかえることにした。デイジーの真横に出ようと、すこし足を速める。

「それじゃ──、」

「着きましたよ」

 扉があいた。そこは、ブリーフィング・ルームだった。そう、見えた。

 白い円卓。そのまわりには、ひじ掛けのついた大きめの椅子が、七つ。壁と床には、ジャンプスーツと同じ回路図のような模様が、あざやかに広がっている。

 他には、何もない。窓どころか、換気口さえ。

「どうして、わざわざ移動したの?」

 ──二人しか、いないのに。

 朱里は、扉にいちばん近くにあった椅子に無造作に腰かけた。平らに見えた椅子の表面は、ぴたりと朱里の身体にフィットした。座る直前に変形するらしい。

 よく見ると、真っ白にみえた円卓に、小さな落書きのようなものがある。ちょうど、朱里の右手のあたりに。ボールペンかなにかで書いたような。くずし字のアルファベットに見えるが、よくわからない。名前だろうか。

「……この部屋にしか、大きなスクリーンがないので。」

「あなたの顔は、ホログラムで隠してるのに?」

「これは、ただの認証システムです。乗員登録すれば解除されますけど?」

「え、そうなの?」

「とにかく、」

 デイジーは、ぱっと手をひろげて、なにかに合図するように大きく回した。

 ふっ、と壁が消える。床も、天井も。

 椅子と机と、ふたりの女だけをそのままに。


 そこは、宇宙のただなかであった。

 

 目が慣れるまでに、およそ五秒。それから、意外と明るいことに気づく。

 星空。

 前方とおくに、天の川。

 後ろには、ひときわ明るい天体がひとつ、そのむこうはほとんど、虚無。

 右にはまた別の銀河。斜めにゆがんだお皿のような。

「……この船はあちらを目指しています。」

 すっと、二時の方向、星の濃いところをさして。

「あ、こっちかも。それか、もうちょっと下か。……反対側かもしれないです。知らんけど」

「馬鹿にしてんの?」

「ようするに、さまよってます。目的地がわからないので。」

 こつ、こつ、こつ、と虚空にかかとを打ちつけて、デイジーはぐるりと円卓のまわりを歩いた。

 背後。朱里はかすかに緊張した。目線は前に向けたまま、ぐっと指に力をこめる。爪の下から汗がにじむ。

 カセイジンがいれば、と思う。

「……不安ですか?」

 そっと、耳元でささやく。感情のない声で。

「なにが?」

「いいえ。……人間とは不安になるものです。そうでしょう?」

「それ、……あそこで寝てる人たちの話?」

「さあ、どうでしょう。……時空輸送船デイジーベルは、あまりにも長い旅を続けてきました。出航直後の亜空間漂流で、記憶素子は大部分が崩壊し、再構成ができたときには、目的地の座標は誰にもわからなくなっていました。それから、主観時間で六千と二十七年経ちましたが、いまだに、地球は見つかりません。もしかしたら、この宇宙には、もうないのかも」

「どうして、……地球を出たの?」

「戦争です。私たちは、戦火をのがれて、別の地球に行くはずでした。……馬鹿だと思いません? 当時、別世界理論は発見されたばかり。座標だってただ計算で出しただけで、繰り返された実験もぜんぶ片道切符。転移先から帰ってきた人は、まだ誰もいなかったんですよ!」

「そう、……」

 朱里は頬杖をついて、別の世界のことを考えた。

 あのデイジーベルも、また別の地球を、同じように出航したのだろうか?

「ほかの星では……いけないの?」

「いけなかったんですねえ。あの人たちには。」

 ふたたび、こつ、こつ、と靴音をひびかせて、デイジーはもとの位置にもどった。

「わたしは、デイジーベルの乗組員に奉仕する機械です」

 その手には、いつのまにか、白い腕輪が握られていた。

 朱里は、はっと手首を触った。スーツの疑似感覚のせいで、腕輪の感触はまったくわからない。わざわざ着替えさせたのは、このためか?

「安心してください。コピーですよ。……記憶素子の構造はだいたい解析できましたが、肝心の転移機構はさっぱりです。あちらのデイジーベルは、ずいぶんと高度な技術をもっているようですね」

「そう、……やっぱり。」

「世界間テレポーテーションの演算法は、どうしても復旧できなかったんです」

 デイジーはため息をついた。ように見えた。

「今では、ほんとうにそんな理論が存在したのかさえ。……でも、その腕輪の記憶をたどるかぎり、間違いないようですね。」

「これ、そんなことまで記録されてるの?」

 腕輪があるはずのところを軽くさすってみる。何も感じない。

「あらゆる情報が、記憶されていますよ。あなたが通ってきた世界も、これから行く世界のことも。」

「これから行く世界のことも?」

「ええ。解凍に時間がかかるので、まだ読めていませんが。どうも、転移技術のコアに近づくほど、ブロックが固くなるみたいなんですよねえ」

「ふーん……」

 とすれば、私がこの世界に来ることも、あらかじめわかっていたということか。あちらの世界のデイジーは、なにを思って、ここを選んだのだろうか。

「条件指定だけして、低レベルなブラックボックスAIにオートで選ばせてるだけみたいなんで、あまり気にしないほうがいいですよ」

 こちらの心を読んだかのように、デイジーは軽くいった。

 朱里は、小さくため息をついた。考えるだけ、むだなことだ。

「……それで、どうしたいの?」

「なにがです?」

「なにか、目的があるんじゃないの?」

「べつに……、」

 デイジーは、球体関節じみた指をかちゃかちゃと動かした。少し目を伏せるように首を動かして、言いよどむ。


 ……機械のくせに。


 ふと、思いついて、朱里はいった。

「もしかして、……退屈だったの?」

「え?」

 ひどく意外そうに、デイジーは顔をあげた。声に微笑みをうかべて、

「退屈なんてこと、あるもんですか。……わたしは、デイジーベルの奉仕者ですよ」

 すっと、腕を振る。もう一度、おおきく、合図するように。それから、

「ねえ、……プレゼントがあるんです。受け取ってくださいますか?」

 そう、言った。

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