転移
「━━目つきの悪い女、嫌いなんだよぉ」
背後から、そうつぶやく声が聞こえてきたので、朱里は死ぬことにきめた。
*
ふるい公園の跡、いや、今でも公園の看板はたっているが、草ぼうぼうで遊具もなく、まったく管理されているように見えない。舗装道路がつながってはいるが、ほとんど人通りもない。周囲を囲んでいた住宅も、ひとつは空き家、残りは取り壊されて、荒廃するばかり。
ただ、景色だけはよい。囲いのフェンスに身を寄せると、駅前の中心街が一望できる。
向田朱里と、菊田瑠奈。ふたりがいつも待ち合わせていた、秘密の場所だ。
といっても、中学校に入ってからは、ほとんどここで会うことはなかった。同じ学校に通っているのだし、遊びに行くのもどうせ街なかだ。
でも、きょうは特別だ。
朱里は、ぎいっと目を細めて、西の住宅街からここへ上がってくる坂道をにらんだ。四角い黒ぶち眼鏡の奥に長いまつげ、二重瞼に切れ長の目で。自分でも、きつい目をしていると思う。眼鏡を買ってもらう前、眉根を寄せて見ていた癖のせいもあるだろうが。
鼻は低く、顔のりんかくは眼鏡のフレームと同じく四角。くちびるはやけに紅くつやつやとして、ちびの幼児体型にはなんだか不釣り合い。きらいな顔だ。どれだけ時間をかけてもくせの消えない、ウェーブがかった髪も。
でも、今日は気にならない。
だって、死ぬと決めた日だから。
*
ぽーん、とバスケットボールがゴールを通過する。
歓声。
ただの練習試合。観客など、ほとんどいない。歓声をあげているのは自分とルナだけ、正確には、ルナが八割。
ゴールを決めたのは、ルナの彼氏。たぶん。そうだと思う。
ルナは、彼氏なんかじゃないと言っていたけれど。
それから、ちょっと目をそらしてベンチのほうをみる。
控えの選手と、目があう。
目をほそめて、かるく手を振ってきた。それから、すぐコートに目をうつして、なにごとか叫んでいた。
それだけだ。
そのとき、かれに決めたのだ。まだ、名前も知らなかったけれど。
*
いま思えば、ヨシダ先輩の顔をちゃんと見たのは、たった3回きり。
バスケの練習試合のとき、それからずっとあとに、図書館で目があったとき、それから、今日。
口をきいたことは、一度もない。
*
足元の感触が消えた。
気がつくと、朱里の目の前には虚無が広がっていた。
身体がうまく動かない。
地面がない。いや、
━━無重力!?
舌のかわきと息苦しさを感じて、はっと口を閉じる。胸のなかに痛みが走る。強烈な頭痛。目を閉じる寸前、虚無のなかにたくさんの光がまたたくのが見える。星か。それとも。
叫び出したいのをこらえて、鼻をおさえる。
夢だと思う。
肺のなかにわずかに残った空気が漏れないよう、きつく息を止める。すると、胸に激痛が走る。寒い。凍りつくようだ。何秒経っただろうか。これは、夢だ。
すぐに、気が遠くなって、まぶたのうらに強烈な光がとびこんでくる。
強烈な、光。
*
朱里は目をあけた。
背中の感触が柔らかいので、布団の上かと思ったが、厚手の赤いじゅうたんの上に、じかに寝かされているらしい。首をあげて周囲をみる。うっすらと寒い、やけに広い部屋。壁は石造りのように見える。天井は高いが、見える範囲に梁はない。
上体をおこす。制服のまま。屋外で意識を失ったにしては、服に埃もついていない。それどころか、アイロンをかけ直したようにプリーツがぴっちりしている。
すぐそばに、ドレスをきた若い女。
白い肌、長いながい銀髪、たぶん外国人。きわめつけは、眼。なにがどうなっているのか、黒目がくるんと輪をかいて真ん中が抜けている。あんな眼をした人間がいるものか。
ぞろりと裾の長い、白のドレスに、上品な手袋。ウェディングドレス、と一瞬思ったが、そんなわけはない。真っ白ではなく、ピンクと赤の薄模様がところどころに入って、胸のところで複雑にからみあっている。髪はストレートに見えたが、よく見ると細かな編みこみがいくつも。どれだけ身支度に時間がかかるのか、見当もつかない。
耳にはピアス、頭にはきらびやかな冠。高い鼻、切れ長の大きな眼とあわせて、派手派手しい印象をあたえるが、化粧っけはない。ただ、まつ毛はとても長く、唇は紅い。
何歳くらいだろう。長身、女性らしい身体つき。すくなくとも二十代、と思うが、肌のつやを見て考え直す。朱里とそれほどかわらないようにも思えるし、ずっと上かもしれない。
「起きたわね。」
落ち着いているのに、やけに強く響く声。
「私は、クラデ。この国の第一王女。あなたは?」
「……わたし……は、」
つぶやくように答えながら、あたりを見回す。王女のとなりに、もうひとり、ひときわ大きな冠をかぶった親らしき年齢の男。腰に飾り剣をさして、丸くふくらんだ原色のズボンとシャツ、マント。もしかすると、かれが国王ということか。そのうしろに、まだ大勢人がいるようだが。
口内にかすかな違和感はあるが、どこにも痛みは感じない。声も出る。
「私は、……朱里。向谷朱里」
「アカリね。よろしく」
すっと手をさしだしてくる。まだ、状況がよくわからない。
ともかくも、立ちあがって手を握ろうとする。が、その寸前に、気づいてしまう。
この女の、唇の動きと、声が、合っていない。
「……あら、気づいた?」
唇に向けた目線に気づいてか。王女がわらう。
「え、」
「魔法で翻訳しているの。あなたの、その腕輪で。」
いわれて、はじめて気づく。
右手首に、白い硬質の腕輪のようなものがはまっている。
まったく重さを感じないが、いつのまにはめたのか。左手で軽く動かそうとしてみるが、動かない。まるで、なにかで固定されているようだ。
「動かないわよ。魔法の腕輪だもの。」
くすくすと口に手をあてて。
何か突っ込みをいれようと思ったが、頭がうまく働かない。とりあえず、言われたことをそのまま飲み込んでおくしかない。
「……それで、わたしは……」
「あなたは、私たちの魔法実験に巻き込まれて、時空転移してきたの。」
「じくう……てんい?」
「わかりやすくいえば、ワープしてきたの。あなたの世界から、わたしたちの世界へ。」
魔法にくらべれば、まだしも飲み込みやすい単語ではある。大差ないが。
「そんなこと……」
反論しかけて、せきこむ。喉が、まだ少しひりつくような感じがする。
「肺が、まだ痛むかしら。きちんと治療したはずだけど」
口をとじて、首を横にふる。そして、考える。なぜ肺が。
「そう。他にもなにかあったら、言ってね。わが王国の医療技術は完璧よ。」
わが王国。われらが、ではなく。そんなことも気になってしまう。
「あらためまして、こちらは私の父、この国の王。」
となりの男をさして、そういう。あまり、敬意がこもっている感じはしない。
「え、あ、……はい」
王は特になにも言わず、鷹揚にわらって手をさしのべた。握手。
それから、王の背後をみる。
ずらりと10人ほど、ベールで顔をかくした黒服の女。みな同じような体型で、同じワンピースと手袋を身につけている。それから、大斧をたずさえ、大きな黒い全身鎧をきた兵士たち。こちらも、兜で顔は見えない。
どちらも、なんだか不自然な身体つきをしている。女たちは細すぎ、兵士はところどころ太すぎる。鎧のデザイン上の問題かもしれないが。
「ああ、」
クラデが、敏感に朱里の目線のさきを見て、説明する。
「うしろにいるのは、クロヒナギクと黒機兵。……ただの、召使と護衛。気にしないでね。」
気にならないわけがない。だが、他に言うことが山ほどある。ともかくも、口をつぐんで全てを飲み込むことにした。
構うまい。どうせ、死ぬところだったのだ。
夢でも、なんでも。




