92 おやさいとおかね 【童話】 そらた おかあさん
ぼくはミコちゃんとこうえんであそぶのをおしまいにして、おうちにかえっておかあさんにきいてみた。
「おかあさん。なんで、たべものはおかねがいるときと、おじいちゃんやおばあちゃんからくれるときがあるの?」
「そうねえ」
おかあさんはうでをくんで、しばらくかんがえていた。
「そらたとわたしとで、おみせにいってなにかをかうのってたのしいじゃない?」
うん、それはそうだ。しんがたころなうぃるすのせいで、ちかくのすーぱーにつれていってもらうことがへっちゃって、おみせにいくのはたのしいことなんだなってわかったよ。
「じゃあ、たのしいをかうの?」
「うん。おじいちゃんとおばあちゃんがたいせつにそだてたおやさいは、ありがとうっておもうよね。おみせのたべものをかうときも、ありがとうっていうきもちをとどけるためにおかねをはらうのよ。たべものをつくったとおくのひとは、おじいちゃんやおばあちゃんみたいにすぐちかくにいるわけじゃないでしょう? だからありがとうっていうきもちをかたちであらわすことがひつようだからおかねをわたすんじゃないかなあ」
「おみせのひとに、ありがとうってわたしたおかねは、たべものをつくったとおくのひとにとどくのかあ」
「そうよ。おかねはかみときんぞくでできているから、くさらないものね」
そっかあ。たのしいをもらって、ありがとうをとどけるからおかねがあるんだね。それならわかるよ、けーきやさんのけーきをかってもらってたべたらおいしくてたのしいし、すーぱーでおかしをかってもらってたべてもおいしくてたのしいもの。
「すきなおようふくをきたり、すきなたべものをたべたり、そうするとたのしい、ありがとうってことだよね。それなら、たべものだけじゃなくていろんなおみせだとかにおかねをわたすのも、ぼく、ちょっとわかったよ」
「そうでしょう。わたしもおとうさんも、そらたをたべさせるためにはたらいているのはたしかだけど、はたらくことはだれかにたのしい、ありがとうっておもってもらえるためにすることなの」
「そっかあ。それでおかねをだれかからおとうさんとおかあさんがもらって、また、たのしい、ありがとうっていうためにおかねをつかうんだね」
「そうそう。たべものをつくるのはおかねではないのはたしかだけれど……おじいちゃんやおばあちゃんはふたりでつくったおやさいを、わたしたちがたべるとたのしくてうれしいからつくってくれるのよ」
「でも、じゃあおじいちゃんとおばあちゃんがおやさいをおかねにしないのはなぜ? ぼくたちがおじいちゃんやおばあちゃんにおかねをわたしたらいいじゃない」
「そうなってしまうと、おかねのつきあいになってしまうのがいやなのかもしれないわね。すーぱーでおかねをわたすのはいいけれど、おじいちゃんやおぱあちゃんはおとしだまをそらたにわたしたい、とおもっていて、そらたからおかねをもらいたいとはおもっていないはずよ」
「おかえしに、かたたたきをしてほしいっていわれたこと、あるよ」
「うん。おとしだまをもらったら、そらたはたのしくてうれしいでしょう。おじいちゃんやおばあちゃんは、そらたにかたたたきをしてもらうとたのしくてうれしいのよ。それでじゅうぶんだから、おやさいもくれるのかもね」
「たくさんおやさいをくれるのは、たくさんぼくらにたのしくてうれしいとおもってほしいから?」
「ええ、そうよ」
「じゃあ、おじいちゃんとおばあちゃんがたのしくてうれしいとおもうことを、ぼくもおかえししなくちゃ」
「そらたがそうやってかんがえてくれるのが、いちばんたのしくてうれしいとおもうよ、おじいちゃんとおばあちゃん」
ぼくのことばに、おかあさんはにっこりわらった。




