91 アリとキリギリスのおはなし 【童話】 そらた ミコ
こうえんで、ぼくとミコちゃんはすなあそびをしていた。
「あっ、アリさんだ」
すなばのそとを、じぶんよりもとてもおおきなたべものをもってあるいていくアリさんをぼくはゆびさした。
「そらたくん。アリとキリギリスのおはなしっておぼえてる?」
「うん! このあいだ、ほいくえんでせんせいがかみしばいをよんでくれたよね」
ぼくは、あのおはなしはすきじゃない。アリさんががんばってはたらいて、すにたくさんのたくわえをしていたからふゆにいきることができました。あそんでいたキリギリスさんは、おそとでなにもたべるものがなくてしんでしまいました、おしまい。そんなおはなし、ばかみたいだもの。
いくらぼくが5さいのこどもだからって、アリさんたちはとしをこえてとうみんするいきもので、バッタさんたちはふゆにしんでしまうのも、ちゃんととうみんしていきているのもいるっておとうさんやおかあさんにしらべてもらったらわかるよ。
だいたい、あそんでいるからダメだった、なんて、おしごとがきらいで、がまんしてやってるおとながよくいいそうなことだよね。
おとうさんとおかあさんがはたらいておかねをためるのは、ぼくをたべさせるためなんだよっていわれるときもある。
でもふしぎだよね? おかねがどうして、たべものになるの?
たねがおちて、めがでてきて、そだってくさになったりきになったりしておはながさいて、またたねになっていくのはおかねでできることなのかな。
おひさまだって、あめだって、おかねじゃかえないよね。
おかねがたべものになるのは、おとなのせかいがたべものは、いくらいくらのおかねでかえるってきめているからだよね。
もしもとおくのくにのひとたちみたいに、せんそうとかききんとかでくにのなかでだいこんらんになって、たべもののいくらいくらがどんどんたかくなっておかねがかみきれになっちゃったら、たべものはかえなくなっちゃうよ。
そういうときは、うちのおじいちゃんやおばあちゃんみたいに、はたけやたんぼでたべものをちゃんとそだてているひとはおかねがなくてもだいじょうぶだけど。
おじいちゃんやおばあちゃんも、あそびにいくとはたけでとれたおやさいをくれるよ。
アリとキリギリスのおはなしのアリさんは、つめたすぎるよね。あそんでいたキリギリスさんがおそとでさむくてしにそうだったら、おうちにいれてあげたらいいのに。
「わたしね、もうちょっといいおはなしにしてみたんだよ。ききたい、そらたくん?」
「うん、きかせて!」
ミコちゃんは、ふしぎなこ。よく、じぶんでおはなしをつくったり、かみしばいとかでせんせいがよんでくれたおはなしをどんどんかえていったりする。ぼくは、ミコちゃんのそんなおはなしをきくのがだいすきだ。
「キリギリスさんがおそとでたべものがみつからなくてしんでしまったあと、アリさんたちはしばらくじぶんたちのおうちで、たくわえたたべものをすこしづつたべながら、だからキリギリスさんはバカだったんだ、とわらいあっていました。だけども、アリさんのうちのいっぴきがいいました。『ああ、キリギリスさんのうたがもうきけないなんて、なんてつまらないふゆだろう』って」
「それで、どうなったの?」
「アリさんたちは、キリギリスさんのうたのないそのふゆはたいくつでたいくつでしかたがありませんでした。つぎのとしに、アリさんたちはまたべつのキリギリスさんとあいました。そのキリギリスさんは、さきのふゆにしんでしまったキリギリスさんのこどもでした。あのキリギリスさんとそっくりなうたを、うたっていました。あそんだりうたったりするキリギリスさんがいることが、とてもたいせつだったことにきがついたアリさんたちは、そのふゆはこどものキリギリスさんをおうちにむかえて、いっしょにあそんだりうたったりをすることにしましたとさ」
「わあ! しんじゃったキリギリスさんはかわいそうだけど、それならもう、これからこどものキリギリスさんがさむくてしんじゃうことはないし、アリさんたちだってふゆのあいだがたのしくなるよね」
ミコちゃんのおはなしに、ぼくはてをたたいてよろこんだ。




