74 ダンサーとバラの精たち 【ローファンタジー】
天野麻衣子は数々の舞台の第一線で踊り続けてきたダンサーだ。国内は47都道府県のすべてを公演で回ったし、海外の著名な劇場で踊ったこともある。
世界を駆けていた彼女は、久しぶりに日本の田舎の故郷に戻ってきた。もちろんコロナのためだ。
2020年、世界中でロックダウンが行われ、劇場のイベントも軒並み中止となってしまった。
今後の収入の当てもない、公演の予定もつかない状態では危ういため、麻衣子は航空チケットで戻れるうちに日本へと帰ってきた。
実家で暮らし、親の農業を手伝いながら、近所を走ったり家で柔軟体操や軽いリズムをとって最低限の体のメンテナンスをする毎日。
……いつまで、続くんだろう。
そんな先の見えないことの悩みもあるが、心のなぐさめは近所のバラ園だ。田舎によくある広大な敷地を持つ公園の一角に作られたバラの庭園は、今盛りの美しいバラたちが咲いていて、花と花のあいだを歩いて行くと得も言われぬ清楚な甘い香りに包まれた。
2mのソーシャルディスタンスが取れる屋外ならマスクの必要もない。麻衣子は早朝にやって来て、バラ園の景色をひとり占めするのが大好きだ。それともうひとつ、バラ園にはずいぶんと昔に作られた、コンクリート造りの屋外ステージがあり、そこでこっそりと踊って体をなまらせないようにするのも毎日訪れる目的のひとつだった。
タッタッ、タン!
コンクリート造りの床なので、足を痛めないように慎重にステップを踏む。劇場の木製の床板が懐かしい。
パチパチパチ、とどこかから拍手が響いた。
見ると、いつのまにかステージの前に小さな女の子たちがいた。
ふわふわの、淡いパステルカラー。キラキラのはっきりとした色合い。そんなそれぞれのドレスを身にまとった女の子たちが、麻衣子に拍手を送っている。
「あ……ありがとう」
驚いて、麻衣子は踊るのをやめた。
「やめないで!」
「もっと踊って」
女の子たちは口々にダンスをせがんだ。
「あなたたちは……?」
「わたしはここのバラよ」
「私も!」
……まさか。麻衣子は女の子たちがからかっているのだと思ったが、彼女たちのドレスは確かにバラのように美しい。
「ふふ、バラの精なのかしら? 可愛いお客さんたちが来てくれたなら、頑張らなくちゃね」
麻衣子は微笑んで、屋外のステージでタップを踏んだ。
タタタッタ、タン! タン!
「わあー」
「もっと、もっと!」
女の子たちがきらきらと目を輝かせる。
麻衣子は真剣に踊りを披露した。いくつかのレパートリーが終わり、気づくと女の子たちはいなくなっていた。しかし、ステージの前には美しい色とりどりのバラの花びらが何枚か地面に落ちていた。
……不思議なことも、あるものね。バラに踊りを披露するのも悪くはないわ。
麻衣子は明日もこのコンクリートステージに来よう、と心に決めた。
そして、こうした野外のステージで、これからは少人数の観客たちにダンスを見せるのも悪くはないかも、というアイディアが頭の中に広がっていった。




