71 人生の「意味」について【社会派ヒューマンドラマ&現代恋愛】 斎野目灯也 汐木道子
『人生に、意味なんてない』
僕は、先日に亡くなった学友が遺したラストメッセージを心の中で反芻していた。
自殺だ。いじめられていたわけでもなく、学業不振でもない。むしろ常に彼を取り巻いている人間はいたし、進路には有名なところを狙えるくらいの成績。
なのに、彼はその言葉をメモ帳の一枚に書き、この春に逝ってしまった。
「浮かない顔だね、斎野目くん」
先輩がかすかに微笑んで僕を見た。
「急にクラスメイトが自殺したんですよ。何かやれることは無かったのかとも思いますし、それすら偽善家かもしれないとも思います。なんなんでしょうね『人生に意味なんてない』って。彼みたいに話したい人間もよりどりみどりで、成績も優秀な人間がそんなことで死ぬのなら、汐木先輩くらいしか心を打ち明けられる相手がいないくて、成績凡庸な僕なんて何度死ななくちゃならないか分からない」
「うん……人の死に関しては、周りの人間は無理をして立ち直らない方がいいかもしれない。ことに、それが自殺だったなら」
「僕は彼の友人と言う立ち位置にはいませんでしたけど、顔はよく知っている。そんな状態でも急に自分で死なれたらショックです」
「うん。よく私に相談してくれたね」
「汐木先輩……」
僕は汐木先輩の前で思わず、涙をこぼしてしまった。
「先輩。人生って何の意味があるんでしょう」
「……それには、意味というワードについてすこし話そうか」
いつもの汐木先輩の調子に、僕はすこし救われた気がした。
「この『意味』っていう言葉自体は、言葉によって表されるものごと、ということだよね。勉強で単語の意味を調べる、ならそれほど気にもとめないワードだ。だけど、もうすこし強い意味で、価値とか重要性とかを示す言葉になると、人に対しても自分に対してもアイデンティティの根源を問う言葉となり得る。それが、彼の遺した『人生に意味なんてない』というメッセージを斎野目くんが受け取って、重たい気持ちになっている原因だよね」
「はい……それで解釈すると、人生の重要性、価値ってことになりますね、確かに」
「彼は誰にも自殺することを明かさず、とうとうその選択をしてしまった。だとすれば、彼を囲んでいたひとびとに対して、重要性も価値も見いだせなかったことは確かなんだろう。成績優秀な自分、という自分の重要性と価値についてもね」
「……それは……周りにいてもひとりぼっちだった、ということでしょうか」
「うん。そもそも、人生の意味……アイデンティティだとか、レゾンデートル、最近だと企業で盛んに交されているパーパスというような言葉は、ここ200年くらいのあいだに取り交わされている。ということは、それ以前は生きる意味なんてほとんど考えもせずに、人生は決まっているようなものだったんだ。日本なら武士、農民、工芸人や商人。そうした生まれなら親も子もずっとその仕事を続けていくのだから、人生は自分にとって何であるかなんて考えなくて良かったともいえる」
「自殺を考えなくても良かったと」
「まあ、その代わりに横暴な武士の取り立てへの一揆だとか直訴だとか、命を賭けて社会変革を望むひとびとはもちろんいたけれども。人が死ぬたいていの理由は、病気に、不作による飢えに、戦争。生きる意味を考えて自分自身を弑する前に、死の方からやって来ていた時代でもあった」
「生きる意味を考えて、分からなくなって自分自身で決着をつけてしまうのは、最近のことだということですか」
「そうだよ。衣食住がそれなりに保障されていて、将来をそれほど悲観することも無い人間が自殺するのはかなり贅沢なことでもある」
汐木先輩は思案するふうで、腕を組んだ。
「それでも『人生に意味なんてない』と彼が言葉を残して死んでしまうほどに『意味』を求めるのは、誰かに自分自身の存在理由を認めてほしかったからなんだろう。斎野目くん、ここが重要なんだが、誰かに自分を認めてもらうには、まず自分から誰かを愛し、認めるということが必ず求められるんだ。成績がいいからとか、取り巻きがとりあえずいるからそれなりだろうと利己的に考えていると非常に心の中では孤立しやすい。両親や周りのひとびとに話すことのできない自己否定の塊の感情に、彼は殺されてしまったとも言える」
「誰か相手に自分の『意味』を求めていたら、孤独になって、誰かを自分から認めていけばいい、ということですか。じゃあ先輩、人生に『意味』はいらないんでしょうか」
「私たちは生きている。それだけでいいと感じるこころが大切だよ。どんな学校に行き、どんな仕事をして、どんな人間関係を築いていくのだとしても、今生きている自分と、今生きている相手が70億以上の人類がいるなかで巡り合った。そう思えれば『意味』も出てくる気がしないかい?」
「……そうかも、しれないですね」
彼が自殺をしたという、そのことはきっと僕の人生から消えない。悔恨はずっと引きずっていく気はするけれど。
「僕は、汐木先輩がいてくれて本当に良かったです」
「可愛い後輩だもの、なんでも相談してくれたまえ」
笑顔がまぶしいこの先輩が、愛しい。




