70 潰れた劇団から、個人がリデビューする 【ヒューマンドラマ】
良枝は劇団の役者だった。だった、と過去形なのは、つい最近、良枝が所属していた60年以上の歴史を誇る地元の小さな劇団が、コロナの影響をまともに受けてひとつの新作も公演にこぎつけることが出来なくなり、とうとう潰れてしまったからだ。
劇団員は役者もスタッフも、すべて解散した。もともと少なかったがそれでも定期公演によるすこしの収益をみんなで分かち合っていたお金も、まったく入らなくなった。
愚痴は言うまい。これまで続けてこられたことこそ奇跡のようなものであり、演じてきたひとつひとつの役や裏方の仕事のどれひとつをとっても、良枝はその都度出来得る最大限の力を注いできた。
ぽかんと空いた時間を渡されて、良枝は娘の陽菜と週末の休日をのんびりと家で過ごしていた。紅茶と大福をテーブルで、ふたり楽しんでいる。これまでは公演となれば出来るだけ多くの人に来てもらえるよう、そして仕事を一般職と兼任する劇団員のために、土日や祝日の休日を主に芝居用として使っていたから、この光景はとても珍しいことかもしれない。
「お母さん、残念だったね」
「まあね。でもほら、やるべきことはやって来た上での解散だから。しかたのないことよ」
「これからどうするの?」
「そうねえ」
良枝は大福をつまんだ。
「今はさ、お母さん。動画がすごく流行ってるじゃない。それに、社会人のたしなみをリモートだけの環境では覚えることが出来なくて悩んでいる新入社員のひととかもいるらしいし、劇団でたしなんできた効果のある笑い方とか、姿勢の見せ方とか、そういうのをレクチャーする動画を作ってみたら?」
「いいわね!」
陽菜も社会人三年目だ。よくぞ母にアドバイスが出来るような子に育ったと、良枝はとても嬉しくなった。
「劇団にいたときのつながりで、動画製作をしているひとを知っているから、そのつてをたどってみるわね」
「うん、その意気だよ、お母さん。わたし応援してるからね」
陽菜はにっこりと笑った。
「劇団歴20年のおばちゃんが教える、愛想のいい笑い方」
そんな動画がアップされるのは、そう遠い先のことでは無さそうだ。




