68 無駄話なんて、ひとつもない 【ヒューマンドラマ】
カタカタと、会社に支給されたパソコンを使い、三宅慎司は自宅でデータを打ち込んでいた。新入社員として去年の春に仕事を始めてから、ほとんどが自宅での仕事だ。新入社員の歓迎会も、年末の忘年会も無い。
インフォーマルな社員の姿というのもほとんど分からず、会社とのつながりと言えば、オンラインだけ。それでも、大学の同年の友だちには、オンラインのコミュニケーションや会議すらほとんど無く、誰とも会わずに自宅でただ与えられた仕事をこなすだけの毎日を送って心を病んでしまった話も聞くから、慎司はまだマシなほうなのかもしれない。
というのは、慎司が入った小さな会社「縁」には、円滑な何気ない会話をすることが出来るアシスタントAI「秘書タナさん」と、強力なコミュニケーションツールがあるのだ。
「お昼休憩の時間ですよ、三宅さん」
パソコンから女性の声が響く。
「あ……もうそんな時間ですか。じゃ、この書類だけ」
「分かりました。無理はしないでくださいね」
ペーペーの自分に、AIとはいえ、秘書が付いているというのは何となく頼もしい。慎司はたたっと書類の作成を仕上げた。
「……終わりました」
「今日の休憩チャットは、行いますか?」
休憩チャット。それは、コーヒーブレイクの時間や、今のお昼休憩の時間に使える、仕事以外のざっくばらんな話もOKな社内コミュニケーションツールだ。社の先輩で、面倒見が良かったり、休憩時間も話をしたいというひとがパソコンを通じてOKサインを出していて、望めばオンラインを通じて世間話を行うこともできる。
慎司の入った小さな会社「縁」のモットーは「無駄話と言うのは、ひとつもない」という方針で、一見まったく仕事と関係の無い会話から、素晴らしいアイディアが出てくることをとても大切にしているのだった。
「はい、休憩チャットをお願いします」
「今OKなのは、三船さんと、舘さんと、石原さんです。舘さんと石原さんは現在リアルチャット中ですが、どうしますか?」
「……じゃあ、それをお邪魔しても悪いので、三船さんをお願いします」
「はい。おつなぎします」
通信は許可され、パソコンの画面に仕事の大先輩である年配社員の三船が写った。
「よう、三宅君。仕事はもう慣れたかい」
「……だいぶ、初歩的なものは覚えました」
「ははは、その調子! 早いとこコロナのやつが収まって、一緒に飲みに行けるようになるといいな」
「そうですね、僕も楽しみです」
休憩チャットがあるおかげで、どれほど一人暮らしの孤独が和らいでいるだろう。会社のメンバーの顔もだいぶ覚えることが出来た。慎司は、この小さな会社「縁」で一所懸命働こうと、決意するのだった。