49 秋の日のもの思い 【ヒューマンドラマ】 陽 葉月
「死んじゃったなあ」
「うん、死んじゃったね」
秋の日の、穏やかな太陽の光が注ぐ公園で、中学一年生の陽と葉月はともに空を見上げた。
始まりは、いくつもの作品に出演し、人気を集めていた俳優の死だった。その後、彼を追いかけるようにして共演者だったひとびとが続々と同じように死んでいった。
ただでさえ感染症でひとびとが暗い気持ちを抱えるなか、何人ものひとびとの相次ぐ自殺。多感な子どもであるふたりにも自然と重い気持ちが訪れた。
「くそっ。コロナのせいだ。うっとうしいマスクをいつまで付けなくちゃならないんだって思ったら、俺だってくさった気持ちになるぜ」と陽。
「だよねえ。赤ちゃんが、マスクをして生まれるはずもないのにね」
葉月も大きなため息をついた。
「ぼくら、一生マスクといっしょなのかなあ」
「そんなわけないだろ、葉月。ワクチンが出来て、コロナをやっつけられるようになったらきっとマスクなしでいられるようになるさ」
「オリンピックもどうなるのかな?」
「無観客でもいいから、俺は見たいぜ」
「うん。スポーツとか、アートとかって、不要不急のものじゃないよねえ。それがなかったら、ほんとに気分がくさっちゃう」
「俺は、映画とか観たり、本を読むことを増やしたぜ」
「映画?」
「芸術の秋だからな」
「えっ、でも演劇のほうで、感染者のくらすたーが出てたじゃん。映画も大丈夫なの?」
「オンライン配信の映画ならうちで観れるし、映画館もわりと換気がしっかりしているらしいぜ」
「ああ、確かに映画館は、ずっとくらすたーは出ていないもんね」
「美術館もな。旅に出るなら自然のところが一番っていうのも分かるけど、近場の映画館とか美術館を巡るのも悪くないだろ」
「そっかあ。行こうかな、映画館とか美術館」
「せっかくの芸術の秋なんだ。ずっと家にこもっているのはもったいないぜ」
「うん」
家にいるだけで重い気持ちになったところを、ここではないどこかへ連れていき、そっと支えてくれるのが映画や絵画だ。
もしも、あの相次いで亡くなったひとびとにも、一枚の絵、ひとつの写真、ひとつの音楽、ひとつの映画。そうしたものが心に届いていたなら、思いとどまることが出来たのかもしれない。
「スポーツもアートも、人の心が動いて、楽しむことができるのってすごいよねえ。よし、ぼくも走ってみよう」
「あ、おい待てよ葉月!」
公園の運動場へと走り出した葉月を、陽も追いかけていった。