46 アマカフェの万里亜(まりあ) 【ヒューマンドラマ】藤村万里亜 軒下彩
藤村万里亜は、三十路の後半を迎えた尼僧だ。離婚して由緒ある寺の実家に戻り、修行をし、若くして尼さんになった。
離婚の理由は、数年前に万里亜が、いわゆる神待ち少女と言われる、居場所が家に無い若い女の子たちを家に招き、ご飯を共に食べ、積もり積もった彼女たちの苦労話を聞いていたからだった。
別れる際に夫はこう言った。
「嫁さんなら、俺の面倒を一番に見てくれよ!」
しかし万里亜は家に帰れば、性的虐待さえされかねない少女たちを放っておくことは出来ず、ずるずると時間が過ぎるうちに夫は離婚届を置いて去っていった。
離婚届を了承し、ひとりになった万里亜は、少女たちのために使っていた時間とお金を、生活のために使うことになり、面倒が見きれなくなってしまった。悩んだ末に少女たちを、面倒を見てくれる知り合いの団体や施設に任せ、実家に戻ったというわけだ。
だが、ただ親の庇護を求めて戻ってきたわけではない。
万里亜は寺の建物の一部を使って、今日から「アマカフェ」を始めるのだ。
この「アマカフェ」は、女の子、女性専用の居場所作りのために開いたところで、くつろげる大きな和室に座布団をいくつか置いて、脇にちゃぶ台を添えてある。ちゃぶ台の上には急須と茶碗と緑茶の粒状パックが置いてある。
本当は、紅茶や玄米茶やノンカフェインのほうじ茶などを揃えたかったのだが、初日のこの日は、予約で入っているひとりの女の子以外は、誰がどれだけ来るのかも分からない。
すこしづつ、やっていこうと万里亜は心に決めていた。
和室に置いてあるのは、ちょうどこの時期に閉店した古本屋から譲ってもらった古い漫画と、万里亜が持っていた本、そして新聞。ネットカフェに行くくらいならこの寺で、と思ってくれるようにと用意したものだ。
ピンポーン、と寺の脇にあるこの建物の、玄関のベルが鳴った。
来たかな? と、万里亜は客を出迎える。
「やっほー、万里亜姉さん。久しぶり!」
「彩ちゃん!」
万里亜は目を細める。
予約の女の子、軒下彩だった。数年前、離れ離れになったきりの神待ち少女のひとりだ。知り合いの団体に任せたあの頃は中学生だったが、今見る彼女はずいぶんと大人びた。
「万里亜姉さんが、また居場所作ってくれるんだもん。絶対行かなきゃでしょ?」
「大きくなったね」
「おかげさまで」
「あら、そんな言葉もすぐ出るようになったのね。大人になったねえ」
「いろいろあったんだよー。聞いてよ」
彩は和室に上がり込むと、ぽつぽつと話し始めた。万里亜のところを離れて数年、父親からの性的虐待を避けて児童養護施設に入り、そこを出て里親のもとでお世話になり、今は過去に受けた傷も癒しながら暮らしているという。
「あのときさ、万里亜姉さんのところが無かったら、わたしきっと死んでたと思うんだ」
急須で淹れた茶をすすりながら、彩は真剣な瞳で万里亜を見ていた。
「そんな万里亜姉さんが、またわたしみたいな子のための居場所を作ってくれるっていうんだもん。今度はわたしがお手伝いしなくちゃ」
「まあ……ありがとう、彩ちゃん」
「万里亜姉さん。……ハグしていい?」
子どもらしい、悪戯っぽい笑顔で、彩は聞いた。万里亜は満面の笑みを浮かべて、彩をしっかりと抱きしめた。
「ありがとう、彩ちゃん。……お帰り」
うん、と彩が小さく頷いた。
どれほど時間が経ったろうか。
ピンポーン、と玄関のベルが鳴る。抱擁を解き、二人は客を出迎えた。
子ども連れの、若い母親だった。
「今日からこちらで居場所作りをされていると聞いて……いいですか」
親子の雰囲気は切迫しているようだ。
「よくお越しくださいました。中で、お茶でもしながらお話ししましょう?」
万里亜が親子を優しく出迎え、彩が親子を和室へと案内した。
女性の憩いの場所となる「アマカフェ」の始まりだった。
婦人保護施設、という、DVや家庭内暴力や性暴力にさらされ、ボロボロになっても逃げることのできない女性のために作られた施設があります。婦人相談所という各県に設置された連絡先もあるので、お金が無かったり、家庭にいられない神待ち少女や、配偶者のDVにさらされた女性は、自分で売春する前に、そうした組織を頼ってほしいと願わずにはいられません。




