40 落語家の落伍(らくご)の危機一髪 【ヒューマンドラマ】
「ああっ……!」
絶望の叫びを放った若者がいた。本名を、坂口落伍と言う。本名、というのは、彼は今日、寄席でデビューするはずだった新進気鋭の落語家だからだ。
「ったく! どこもかしこもイベント中止! 病気の奴、よりによっておいらのデビューを邪魔しなくてもいいだろうに」
がっくりと首を垂れる落伍。親にも友人にも知人にも宣伝して、何とか切符を渡しきっての寄席デビュー中止。絶望は計り知れなかった。
「なんだよなんだよ、せっかくのデビューの日に、本人が辛気臭いツラしやがって」
「兄さん……」
進行役を務めてくれるはずだった、先輩落語家の兄さんが、笑った。
「おいらはもうダメです」
「馬鹿言うない」
「だって……今どき、若い落語家はいくらでもいるんですよ!? こんなケチのついた、しけた新人、デビューが華々しくなけりゃみんな忘れちまいますよ。おいらはもう終わりだ」
「待て待て待て! 寄席が一発ダメになったくらいでどうしたい」
「だって……」
「だってもさってもありゃしねえよ! 落語はな、地震に戦争にバブル崩壊にだって、ちゃーんと生き残ってきたんだ。人を笑わせるやつが、そんな辛気臭いツラしてる場合じゃないだろ!」
「おいらの本名、坂口落伍ですよ。笑わせる落語のほうじゃなくて、人生どん底の、にんべんに五の落伍。おいらの親が、坂口なら安吾、それは安直だから落伍にしてやれって。ひどい親でしょう!? おいらの運の無さは今に始まったことでもねえんで……」
落伍は涙を浮かべる。
「人生もう終わりだ、兄さん、今までありがとうございました」
「待て待て、お前さん、そうして橋の上からでも落ちるつもりだろ? 落語家の落伍が橋から落ちたって、お前さん、三面記事に載ったら笑いもんだぜ」
「そうして人生の終わりに誰かを笑わせられるなら本望です」
「そうなら、生きて笑わせることだい! 俺にな、考えがある」
「何ですか?」
「お前さん、このままこの無人の寄席で、今日やるはずだった一席をぶつんだ」
「え、誰もいないのに?」
「ああ。俺がそいつを、動画で録画してやる」
「はあ」
「そんでな、ネットで今回限定の無料動画として流すんだ。今の時代、お師匠たちだって動画でぶってる時代だぜ!? 許可は取ってある、一所懸命やってみな」
「あ……兄さん……!」
落伍の顔に希望が戻ってきた。
「可愛い弟分のためならな、このくらい軽いもんさ」
兄さんは格好のいい笑顔を浮かべた。
「辛気臭いニュースやらネットの本当か嘘かどうかも分からん情報で、みんな笑いに飢えてるはずだ。きっとうまくいく! さあ、さっそく動画を撮るぜ。あ、最後に本当の寄席にも来てくださいね、動画より本物の寄席は面白いから! って言うの忘れんなよ!」
兄さんが無人の席に立ち、スマホのカメラを固定する。
元気を取り戻した落伍は、生き生きとした表情で新作落語を始めだした。




