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4 かけがえのない友だち【ヒューマンドラマ】 犬養芳也 森野 美貴

 彼のペンネームは「犬養芳也いぬかいよしや」と言う。

 ペンネームは、というのは、彼が作家だからだ。

 地方の文学賞から輩出した彼は、ひとの興味をそそる作品をいくつも書き、物書きとしての名声を得た。

 芥川賞や直木賞にノミネートされたことは無いものの、彼を追うファンは絶たず、彼の新作を心待ちにしてくれている。

 しかし、最近の彼には悩みがあった。

 スランプだ。

 書かなくなってから、もう、三か月にもなる。

 飛ばないブタは何とやらではないが、書かない作家などニートだクズだと怒る妹の罵詈雑言を避け、家を出た。

 駅前に行く。

 高校のときからの親友、森野と会う約束をしたのだ。

「おーっす」

 来た。連絡をすれば、貴重な時間をいて必ず会ってくれる森野に、彼は心底感謝していた。

 駅の近く、線路の下にある屋台のおでん屋に入ると、彼は訥々(とつとつ)と語りだした。

「なるほどねぇ、贅沢な悩みだな」

 森野がおちょこに入った日本酒を舐めつつ答える。

「そうか?」

「小さいかもしれねえが、賞も取った。印税で暮らせるだけの収入もある。何より、たくさんの読んでくれる人がいる。それだけ恵まれてて、何がお前の心に引っかかるんだ?」

「……分からない」

 彼はため息をついた。

「そうだ! お前、今彼女いないんだよな?」

 森野の話が変わる。

「なんだ、いきなり」

 彼は目をぱちくりさせた。

「机にかじりついていないで、たまには女の子と遊んだらいいんだ」

 森野が悪戯いたずらっぽく笑う。

「そんな、急に言われてもな」

「待ってろ」

 森野は携帯を取り出すと、どこかにかけ始めた。

美貴みき? 今時間あるか。うん、うん。駅のおでん屋は分かるか? 待ってるぜ」

「美貴ちゃん!?」

 彼は驚いた。高校のとき、森野と彼と一緒につるんでいた少女だった。美人で気の利く彼女に、彼自身は不相応だと思い、友だちのまま卒業したが。

 それから10年は会っていない。

「そうよ。今、美貴も彼氏がいないらしいからな。お前が彼女とくっついて所帯を持ったら、俺も家族の話ができるようになるから嬉しいよ」

「しょ、所帯!?」

 彼は思いもしない言葉を聞いてびっくりした。

 確かに森野は所帯持ちだ。可愛い嫁さんと生まれたばかりの娘がいる。

 そのことについては、森野が気を利かせているのか、彼との間の話題になることがあまり無かった。

「お待たせー」

 女性の声。美貴だ。大人っぽくなった、と彼は思った。

「久しぶりだな。こいつが一人前にスランプだって言うからよ、慰めてやってくれ」

「え……ヨシくん!?」

 ペンネームの一部を取った呼び方。高校のときからペンネームは変わっていない。美貴は小説を書いていることを打ち明けられる、数少ない友だちのひとりだった。

「売れっ子作家なのに詰まることもあるんだ」

 美貴は興味深々だ。

「売れれば売れるほど辛いんだ。初めは、この小説を書いたら世界が変わるんじゃないかってくらい、傲慢なほどに自分の実力を信じていた。だけど、今はそれだけじゃダメなんだ」と、彼は素直に悩みを打ち明けた。

「そっかあ。あ、わたしも日本酒飲みたいな」

 美貴がうなずく。酒の注文をして、彼女は彼を見やった。

「ヨシ君は、植物で言えば花の部分だけを見ていたのかもしれないね」

「花?」

「そう。綺麗でひとを惹きつけるところだけ」

 運ばれてきた徳利を手に、美貴は慣れた仕草でおちょこを口に当てた。

「でも、植物を成り立たせるには根っこや葉っぱや、いろいろな部分があって、ようやく花が咲くのよね」

「うん」

「世界にはいろんなひとがいるの。森野君みたいに家族を支えているひとは根っこ。わたしみたいに仕事を何とかこなしているアラサーなのは葉っぱかも。そしてヨシ君は、うちらの中の輝くスター、花だよね」

「よせよ。……そんなに大したことはしていない」

 褒められて、彼は頭をかいた。

「芥川賞も直木賞も取ってない。最近は売り上げランキングにさえ載ってない」

 彼の言葉には焦りがまじっていた。

「おいおい。賞がすべてか!? 違うだろ」

 酔った森野が叫ぶ。

「高校の時のお前は、なんていうか、すごく楽しそうだったぞ」

「楽しそう?」

「小説を書くこと、それで自分の世界を構築することが楽しくて仕方ないって感じだった」

「ああ」

 彼はうなずいた。そうかもしれない。賞や売り上げなどそっちのけで、書くこと自体が何よりも楽しかったのだ。

「大人になると、いろいろ見えてきて、みんな丸くなっていくよな。それで結婚して家族ができたりなんかするとひとりの時間なんて、ほとんど無くなるし」

 森野がつぶやくように言う。

「だけど、そうやって変わっていっても、書けることはあるはずだ。お前も今までの作品の傾向なんか無視しちまえ!」

「そうか……俺たちも、もう子どもじゃないってことかもな」

 彼は酒をあおった。納得だ。今までの作品は、若かったからこそ書けたところがあった。

 それから10年以上が経っているのだ。

 良い意味で彼も丸くなったし、趣味や傾向も変わった。

 今までと同じやり方では、小説が書けなくなっていたのだ。

「新しい小説が書けるといいね。わたし、応援してるよ」

 美貴が微笑んだ。

 年はとったが、まぶしい笑顔だ。

「美貴ちゃん。……あのさ」

 彼は口ごもった。

「何?」

「……連絡先、聞いてもいい?」

 勇気を出して言ってみた。

「いいよ」

 美貴がバッグからスマホを取り出す。

「電話番号はね……」

 10年という月日の壁は、あっという間に溶けて消え、高校のときの付き合いが蘇ってきた。

 長年の友達付き合いが、こんなにも大切なものなのかと、ほろ酔いの彼は心地よさを覚えていた。


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