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35 人工樹脂Kiss【SF】

 ピコピコピコ……と原始的な電子音が鳴る。


 西暦3048年8月6日、ジャスト7:00。地球の故郷、日本では、夏の朝の光がまぶしくなる時間帯だ。


 地球上のあらゆる国が落ち着き、紛争や内戦などが無くなって、地球上はおおよそ平和と言える日が来てから500年が経つ。


 僕たちの地球文明は、一台のスペースシップの製造に成功した。


 火星と地球の間を航行しているこのスペースシップ。名前を「トリニティ」という。


 地球の資源が枯渇しないように、火星の開発を人類共同の目的として行い、その資源によって作られたのが、この「トリニティ」だ。


 1000年くらい前に稼働していたという、人類初の国際宇宙ステーションISSに比べると、放射線の防護技術と、純水ろ過技術と人工太陽、そして酸素の供給装置でもって船内で植物を育てることには成功している。


 ただ、その植物とは、船員の心を慰めるための観葉ものだ。火星の重力下ではコロニー内でじゃがいもが作れるようになったものの、スペースシップの中はまだまだ無重力。


 コクピットの中、椅子の横にふわふわと浮かぶ緑の葉っぱ。


 三守みかみ船長……といっても乗船している人はひとりしかいないけど……を除いては、生き物と言えばこの観葉植物ひとつきり。


 放射線防護の技術が向上し、人体の宇宙空間での消耗は、1000年前に比べてだいぶ少なくなったとはいえ、危険な航行には変わりない。


 長期にわたるスペースシップの航行をスムーズに行うために、そして人体への影響を極力避けるために、スペースシップの船員数はひとりになった。


 しかし、その代りに自動人工樹脂人形オートボタニカルドールである僕がいる。


 スペースシップは、通常、僕の自動制御下にあり、三守船長が運転することはほとんどない。


 三守船長は、緊急で何かが起こったときのための手動制御を行うことと、地球と火星にいる人々との交信が主な任務だ。


 ピピピ……。


 コクピットの中で原始的なスヌーズ音が鳴る。この音は、レトロなものが大好きな三守船長の趣味だ。


 西暦3048年、現在の技術なら、ARスコープ、つまり仮想現実の投影機を使ってオーケストラを完璧に再現した音源だって使えるのに、三守船長は、1000年前の「携帯」とか「スマホ」とやらで使われていた音が好きなのだ。


 ……そして、一度目のアラーム。そしてこのスヌーズ音で、三守船長が起きたためしは無い。


 コクピットの中、固定装置の付いたリクライニングシートで熟睡する三守船長に、僕は話しかけた。


「船長。……三守船長。朝ですよ」

「うーん……ジュールか。すまない、あと五分」


 彼女は寝ぼけまなこで僕の名前を呼び、返事をした。


 航行の間に伸びた、長い黒髪。船の中の人工太陽では、人体に必要なエネルギーが十分得られないために、すこし色あせているけれど、綺麗な肌。ぷっくりとした唇。


 スペースシップ内もカジュアルファッションで良くなってだいぶ経つのに、ネイビーの制帽と制服を身にまとっている。


 三守船長は、本当にレトロなものが好きなのだ。


 僕は三守船長の言葉どおり、五分待った。相変わらず安らかな寝顔を浮かべて眠っている。


「み・か・み・せ・ん・ちょ・う! 子どもたちとの交信に遅れちゃいますよ?」


 僕は彼女のふにふにな頬を引っ張った。今日は、火星と地球の子どもたちと、三守船長が話す特別な日なのだ。


「い、いひゃい、いひゃいよジュール!」


 たまらず、彼女が目を覚ました。


「やっと起きましたか。コーヒーとパンを用意していますから、とっとと朝ごはんを食べてください」


 僕は彼女を促した。


「じゃあ。ジュール、お目覚めキッスを! そしたら起きる」


 三守船長が、むにゅう、と唇を突きだした。


「嫌です」


 きっぱりと僕は断った。


「僕は、あなたの自動人工樹脂人形ですよ? 人形とキスして、何が楽しいんですか」

「ジュール、自分を卑下するのは良くないよ? 君はわたしの大切なひとだと、わたしは認識している」

「大切なひと……」

「恋人ではないけれどね。家族だよ、家族」

「……日本人を含めた東洋人は、キスやハグは控えるものではなかったのですか?」

「いつの時代の話だよ~! わたしは君のお目覚めキッスが欲しい! さあ、とびきりのスキンシップをしよう!」


 もう……だだをこね始めたらきりがないのが三守船長の悪いところだ。でも、そんな姿を見せるのは僕だけの前で、それがちょっとかわいいと僕は思ってもいる。


「……今日だけですよ?」


 チュ、と僕は彼女の額に人工の唇を落とした。


「ええ……マウストゥマウスの、ちゅーじゃないのか」

「それはあなたの恋人としてください」

「恋人は、画面の向こうの地球だよ……」


 三守船長はがっかりした表情になった。このスケベ船長め!


 地球と火星間の航行は、1000年前よりは時間が短縮されたとはいえ、長い年月がかかる。


 その間は、電波の交信でしか家族や恋人と連絡が取れない。


 だから、人間の皮膚とそっくりな質感を持った僕、自動人工樹脂人形が、子どものためのぬいぐるみみたいな立場で存在するんだけど……。


 より人間らしく思考回路が作られた僕には、こうしたスペースシップの船員からのキスやハグを、自分の意に沿わなければ断れる判断能力が付いている。


 船員にとって大切にすべきなのは、生身の家族や恋人だ。……決して、僕に依存してはいけないのだから。


「しゃーない、起きるかあ……」


 三守船長は頭を振って、しゃっきりとした顔になった。朝食だ。


 無重力空間の食事は、1000年前とさほど変わらない。チューブの口が付いたパックのコーヒー。くずが飛び散らないよう、密閉された袋の中に入ったパン。味はとても向上していて、新鮮なそれらと比べても変わらないおいしさらしいけど。


 僕の横のリクライニングシートで三守船長がもぐもぐとそれらを口にする。


 それを見ながら、僕も、人工の口に、僕の補給用エナジーをパックから吸い込んだ。


 形だけでも、一緒に食事がしたい! という三守船長の熱望を受け入れた結果だ。


『ひとは原始の時代から、得た食料をみんなで分けて食べてきた。誰かと一緒にごはんを食べないと寂しくなるのは、そのせいさ』と三守船長は言った。


 だけど……確かに、こうしてふたりで朝食をとると、解析不能な……これを人は心地よさと判断している数値が、僕の中でめぐっていく。


「ごちそうさま」


 簡素な食事をたいらげ、三守船長は手を合わせた。


「さあ、子どもたちのために、ちゃんとした宇宙飛行士のツラをしてくださいよ?」

「分かった分かった。ジュールは相変わらず毒舌だなあ」


 三守船長が苦笑した。彼女の笑顔を見ると……これも解析不能なパラメータが、僕の内部を駆け抜ける。


 ああ、ダメだ。僕は彼女に、機械にはあり得ないはずの、不毛な感情を抱いている!


「ジュール、ではカメラを!」

「は、はい」


 僕は平静を装い、船内のネットワークに命じ、リクライニングシートの正面に映像送信用のカメラを準備した。


<スペースシップの三守船長! そちらは元気ですかー?>

<外には、何が見えますかー?>

<宇宙船には、どうやったら乗れますかー?>


 コクピットに設置された画面の、火星から、そして地球から。子どもたちのにぎやかな声が、流れてくる。


「グッドモーニング、子どもたち!」


 三守船長が、とびきり格好いい笑顔でこたえた。


 ああ。不毛とは分かっていても。その笑顔が、僕にとっての「存在価値」または……機械ながらに「生きがい」ってヤツを感じるんだ。

8月6日。平和への強い祈りに代えて……。

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