33 失恋記念にスープとサラダを【ヒューマンドラマ】 柿子 陽菜子 花実
柿子はベッドの上で寝返りを打った。ピピル、とスマホが鳴る。時計を見れば、午後一時。今日は休日だから問題は無いが、起きる気がしなかった。
「一時か……いい加減、もう起きないと」
だるい頭を振って、無理やり体をベッドからはがす。ドシン、と床に落ちてしまった。
「痛い」
文句を言っても、聞く者はいない。
正確には、ほんの三日前までは、いた。……そう、彼氏という存在が。
思い返せば、ほんのすこしのすれ違いが始まりだった。
二人でいれば幸せだった時は確かにあった。
しかし柿子は気づいてしまった。
彼が自分だけを愛する人ではなかったことに。
関係を引き留める声。反省している、だけど本当に好きなのは柿子だけだよ、と言う声が空しく響いた。
三日前。ブチ切れた柿子は、部屋にある彼氏の持ち物を、あらかたまとめて渡した。
「出て行って。二度と来ないで」
柿子は叫んで、彼氏を部屋から追い出した。
その後、彼氏との連絡は途絶えた。
柿子は誰もいない部屋で、ぼろぼろと涙をこぼした。そして、すこし落ち着きを取り戻すと、友人の花実に電話で洗いざらい話してまた泣いた。
彼氏がいなくなってから初めての休日。
心に負った大きすぎる傷を抱いて、昼を過ぎてもベッドから身を起こす気にすらならなかった。
カーテンを閉め切った部屋は昼でも暗い。
……そうだ。さっきスマホが鳴っていた。誰からだろう?
彼氏がかけてくるとは思えない。実家の両親だろうか、弟だろうか?
柿子はスマホを拾った。
「……花実?」
スマホの画面には友人の花実から、陽菜子を連れて今から行く、と書かれていた。
花実も陽菜子も、大学を同年で卒業した友人だ。花実は大学のあるこの町に実家があり、両親とゴールデンレトリバーとともに住んでいる。
陽菜子は柿子と同じで、実家を出てこの町に一人暮らし。しかし何も飼っていない柿子と違い、ペット可のマンションで愛猫のキャシーと一緒だ。
(そっか……。うちにもワンコとかニャンコがいたら、こんなときに慰めてくれるのかな?)
柿子は二人のパートナーである犬猫のいる暮らしを、すこし羨ましく思った。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
「かっきこー!」
元気な声が聞こえる。花実と陽菜子だ。柿子はパジャマ姿のまま、ドアを開けた。
「来てくれたんだ……」
二人の友情にうるり、とくる。花実も陽菜子も平日は仕事だ。貴重な休日の時間を柿子のために割いてくれたのかと思うと、心底ありがたくて涙が出そうだ。
「聞いたよ! 失恋したんだってー?」と陽菜子。
「花実に?」
「うん」
「ごめん、ぜんぶ話しちゃった」
てへぺろ、と花実が笑った。
「いいよいいよ! ……辛いことをまた一から話すのも嫌だしね。ま、入って」
柿子は二人を部屋に招いた。
「あれ……? それ、何?」
柿子は、花実と陽菜子がそれぞれスーパーの買い物袋をぶら下げているのに気が付いた。
「今日はあたしたちがご飯作るからさ。柿子は思う存分、傷心してなよ」と、陽菜子がいたずらっぽく微笑んだ。
「え……花実ぃ、陽菜子ぉ!」
えぐえぐ、と柿子は涙をこぼした。
「ありがと。ありがとね」
「ふふ。彼氏がいなくなった者どうし、後でとことんしゃべろう?」
陽菜子が颯爽とキッチンに入っていった。花実もにっこりと笑う。
そういえば陽菜子も浮気されて別れたんだった。花実はそもそも、恋愛にはまだ発展したことが無い。彼氏のいない三人組だ。しかし、柿子にとって今日はそれがとても気楽に思えた。
「……何作るの?」
「そんな大したものじゃないよ! スープを三人分ね」と陽菜子が答えた。
「スープって意外と奥が深いんだよ。基本は、野菜の具と、肉とか魚とか、豆腐なんかのたんぱく質の具と、だしとオイル、調味料を使えば何かしら出来るんだけど……」と花実。
「はははっ、今日は奮発して有機野菜と、地鶏を買ったんだよ! ぜったいおいしいって」
陽菜子はそう言って、スーパーの袋から、材料を取りだした。
三人は、大学を卒業して社会人になってからも、柿子の家でたまに鍋を一緒に食べたりする仲だ。だいたいの道具の収納場所の把握も、慣れたものだった。
陽菜子がまな板の上で材料を切っていき、花実が鍋に湯を沸かす。
柿子は二人の言葉に甘えて、椅子に座ったまま、そんな二人の動きを静かに見ていた。
花実が準備した片手鍋の湯が沸く。陽菜子が食べやすい大きさに切った具材を入れていく。ほのかに良い香りが漂ってきた。
「よーし、スープはで・き・た・よー!」と、陽菜子が声をあげた。
「あとはサラダを作るね」と、花実が今度はまな板を使った。
30分もかけないうちに、スープとサラダが完成した。
「飲む? 柿子?」
「おーし、飲む飲む!」
そうは言っても女子会だ、冷蔵庫にはアルコール度数の低い、ほんのりした酒しか入っていないが。
「男いないどうし、記念にカンパーイ!」と、陽菜子が音頭を取った。
悔しさ、悲しさ、後悔。
さまざまな感情が柿子の胸をよぎったが、こうして三人で宅飲み、そして料理をみんなで食べられることは純粋に嬉しい。
柿子の顔に、笑みが戻っていた。




