29 春に笑う【現代恋愛】 犬養芳也 美貴
彼の声はどことなく暗かった。美貴は、ははぁ、また小説の執筆がうまくいかないんだな? と察した。
「……美貴ちゃん」
「ヨシ君! あったかくなってきたし、一緒に散歩しよ?」
美貴は明るく「犬養芳也」を誘った。彼女の恋人である彼は、そこそこ知名度のある作家だ。しかし、初期の作品の人気に比べて最近出した作品は勢いに陰りがあり、そのことについて悩んでいるようだった。
何とか力になりたいと、美貴は常に思っている。家にこもっている彼をうららかな外に出すのも良いと考えていた。
今年の春は早い。日中は15度以上になる日も出始めていて、地面を見れば、ありんこが巣の入り口をせっせと整えている。
散歩の場所は、梅の花が咲く川辺を選んだ。花は満開に近く、息を吸えば梅の甘酸っぱい香りが漂ってくることだろう。
二人は約束の時間に待ち合わせ、ともに川辺を歩きだした。
「……今度は何に迷ってるの?」
「笑いについて考えていたんだ」
「笑い?」
「人をどうやって笑わせるか、それをふと考えたら、難しいなあって思ったんだよ」
「確かにねえ。テレビを付ければ、お笑い芸人のひとを見るときも少なくないけど、現実的には、あんなに笑わせる人っていないもんね」
「うん。自分の作品にはユーモアが足りないなって感じてさ。笑い、ユーモアを作品に込めるにはどうしたらいいんだろうなあ」
彼は仏頂面をしていた。真剣に悩んでいる様子だが、美貴はそのことに笑ってしまった。
「ふふっ」
「何だい?」
「そうやって、真剣に笑いについて悩むヨシ君が面白いなあって」
「……からかってる?」
「ううん。ほんとに面白いって思ったんだよ!」
「そっか。そういえば、赤ちゃんは、いないいないばあをするだけで笑うなあ」
「そうだね! いつも真面目な顔が、変な顔になるのが面白いんだよね、きっと」
「日常から非日常に移るときか。なるほどなあ」
「コントとか、漫才とか落語とか、いっぱい楽しんだら分かるかもね! よーしヨシ君、わたしと一緒にいろいろ見に行こうよ」
「いいの!? 僕に付き合ってくれるの、迷惑じゃない?」
「ぜんぜん! わたしも、いつもは笑うときって、あんまりないから。一緒に行って、楽しい時間が出来るのは、とても嬉しいな」
美貴は顔をほころばせた。
「あっ、美貴ちゃん今笑ってる」
「ほんとだ!」
二人は幸せそうに互いに微笑み、川辺を歩いた。




