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28 定年とボランティア【ヒューマンドラマ】

 佐倉俊夫(さくらとしお)は定年を迎えていた。一応会社では再雇用を勧められたが、安い賃金で以前と同じだけ働かされるのも嫌なので断った。


 若いころにローンで建てた家で、妻と一匹の犬ともに暮らしている。


 子どもは二人。男の子と女の子がひとりづつ。息子は独立して自分の家庭を持ち、娘は結婚して出て行った。


 俊夫は、仕事をしないで家にいる。妻の亜紀子(あきこ)はそんな夫にどこかよそよそしく、居心地が悪かった。


 年老いた柴犬の六助(ろくすけ)を近所の公園に散歩へ連れて行くのは俊夫の日課だ。


 何も言わず、ただ俊夫に寄り添う温かな存在は妻よりも大切かもしれなかった。


 もどかしい思いを抱えてベンチに座る。


 定年というものが、肩書や地位や賃金を奪っていった後に残ったこの枯れ木のような自分は何なのだ。


 まだ老人と言われるにはパワーがある。何か、何かやれることはあるはずだ。しかしそれはもう、金を目当てにしたくはない。


 俊夫は苦渋に満ちた顔つきになっていた。


「あっ、佐倉さん」


 ふと声をかけられて振り向くと、近所に住む知り合いがいた。田中杉作(たなかすぎさく)だ。お伴にゴールデンレトリバーのジョンを連れている。


 田中とは年も近く、子どもの年齢も似たようなもので、ほどほどの付き合いが出来ている貴重な隣人だ。


「田中さん。ご無沙汰しております」


 俊夫は挨拶した。


「佐倉さん。こんな時間に会うなんて、会社は……」

「定年を迎えました」


 俊夫は寂しげな表情で言った。


「そうでしたか。いや、私も去年仕事を辞めましてね」


 田中はともにベンチに座った。


 六助とジョンがフンフンと互いの臭いをかぎ合った。


「あれだけ忙しい自分でしたが、それに誇りのようなものも感じていたんですよ。忙しいのは充実している証拠だと思っていました。しかし職場を卒業したら、何もやることのない自分がほとほと嫌になりましたよ」

「そうですか。田中さんも僕と同じですね」

「ぽーん、と時間を渡されると、人生の意味なんて言うものも考えてしまいましてね」

「そうですね。仕事をして家族を養うのは決して楽ではないし、誇りあることでしたが、それも過ぎると自分は何をしてきたかと感じます」


 俊夫は物憂げに公園を見た。


「そうだ! 佐倉さん。空いた時間を使ってみませんか」

「どういうことです」

「私は、最近病院のボランティアを始めたんですよ。私も年ですが、もっと上の世代のお話を伺う、いわゆる傾聴ボランティアというやつです。今はそこからさらに発展させて、近所の歴史をご老人たちに語ってもらって、それを残す作業もしているんです」

「ほう」

「私たちの世代はまだまだ元気ですからね。金はすこし余裕があるし、体力もまだ、そんなに落ちていない。そんな時間を家で潰すだけではもったいないですよ」

「なるほど」

「どうです、傾聴ボランティア、やってみませんか?」

「いいですね。ただ、家内に話しておかないと」

「ええ、いつでも! 連絡をお待ちしていますよ」


 田中は気さくな笑顔で言った。


 傾聴ボランティア。初めてのことだ。しかし誰かのために時間を使うのは、家にこもるよりもよほどいい。


 俊夫は六助を連れて帰宅した。


「おい。今日田中さんと会ったんだが。ボランティアをやらないかと誘われてね……」

「まあ」

 

 長年連れ添った亜紀子が驚きの表情を見せた。


「あなた。いいんじゃないですか」


 亜紀子は話を聞き、優しく微笑んだ。


「そうだろう。これから田中さんに連絡してみるよ」


 俊夫は晴れ晴れとした表情で、電話機に向かった。

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