13 今年も良い年になりますように。【ヒューマンドラマ】 花実
「明けましておめでとうございます」
わたしはこたつの中に入ったまま、父さんと母さんに新年の挨拶をした。
「明けましておめでとう。花実」
「おめでとさん」
ふたりから笑顔の挨拶が帰ってくる。
「神社へ行くか」
「うん。外、寒いかなあ」
わたしは父さんに返事をした。
「手袋とマフラーを忘れずにね」
母さんがこたつから抜け出て、支度を始めた。
わたしもヒート〇ックの長袖シャツを中に着こみ、ダウンジャケットを羽織る。
「ありがとう、母さん」
母さんが持ってきてくれたマフラーと手袋をもらって、準備はできた。
うれしい。うちは父さんも母さんも共働きで、わたしも社会人になって仕事をしているから、いつもはみんなくたびれている。
一年のうちで、今日だけはうちでのんびりできる数少ない家族のお休みだった。
これから行く神社は、わたしたちのご先祖さまが建てた、古い由緒あるところだ。毎年行っているけれど、元旦は弱い日光と冷たい風で、ピリッとした雰囲気がある。わたしは霊感は無いけれど、冬に雪をかぶった山々のような、どこか神々しい何かを元旦に感じてきた。
年末に大掃除をして年始に神社へ行く。
これは、年神さまをお出迎えする儀式なのだという。綺麗になった神社に、年神さまの依代つまりそこに神さまが宿るところである門松を作り、おもちとみかんを神さまに捧げる。いろいろな神社に宿る日本の神さまは、わたしたちのご先祖さまや土地の主さまが神さまになったと考えられてきた。だから神さまといっても、大きくて厳しいイメージは無くて、わたしたち人間の生活のすぐ隣にいらっしゃるような、そんな気さくさがある。
わたしも小さいころから願い事があると神社に来ていた。社会人になってからはこの年明けくらいしか来ることはなくなってしまったけれど、お金で買えないもの、健康を守ってくださることやいい人との出会いのきっかけ、つまりご縁を結ぶ役割は、目に見えない神さまのおかげだと信じている。
うちの家族がこうして無事で年始を迎えられるのは、本当にありがたいことだ。
雑談しながら歩いていると、神社に着いた。
鳥居の下から神社のお社まで、ずらりと人が並んでいる。
境内の一角に、甘酒やおでんをふるまうところが出来ている。毎年お世話になっているけど、これがおいしいんだ。
新年の夜の暗い空間に、火が焚かれていて、火花がちらちらと舞っている。暖かい。
「あっ、花実!」
呼ばれて振り向くと、友人の陽菜子がいた。小学校からの付き合いで、今でも年に数回は会っている。
社会人になってからは友だちと過ごす時間がめっきり減ってしまった。それでも、こうして偶然会ったら声をかけてもらえるのはうれしいことだ。
「おー、明けましておめでとう、陽菜子」
「おめでとー」
近所に何でも話せる友人がいるのはいいものだ。今年も旅行やランチ、一緒に遊びに行きたい。
「今年もよろしく」
「こちらこそ」
人の列に並びながら話していると、だんだんと進んでいき、わたしたちの番になった。
二礼二拍手一礼。
自分を始め、家族や友人の健康と幸せを願う。大人になって分かった。幸せは、自分の分だけでは得られない。周りの人に、陰ひなたに支えられて何でもない日々があるのだ。
今年もよい年になりますように。
がらんがらんと大きな鈴を鳴らし、そう、祈りを捧げた。




