真の悲しみは彼らにはわからないまま
(タイトル)真実は神に出会った者でないと真の悲しみさえわからぬ
18:18わたしは彼らの同胞のうちから、おまえのようなひとりの預言者を彼らのために起して、わたしの言葉をその口に授けよう。彼はわたしが命じることを、ことごとく彼らに告げるであろう。
※神から伝達される内容は、そのさばきが降るときの合図である。
ほとんどは耳鳴りと笛の音を聞く意味と、煙の臭いを感じることである。
その時にその意味を伝える。
そのほか、洪水が起きるときを察知して、一言で伝達する役割、地震が起きる前等にもツイートでその言葉を伝えることである。
このほかに、交友関係では聖書にしるされている言葉を語り、それを伝える役目も担った。その記されているとおりになるが為である。
それを語らなければ、私自身もその命令に背く意味になるので、必ず理不尽な受け答えをされようとも我慢して赴いたのである。
問題なのは、次の言葉。
18:19彼がわたしの名によって、わたしの言葉を語るのに、もしこれに聞き従わない者があるならば、わたしはそれを罰するであろう。
18:20ただし預言者が、わたしが語れと命じないことを、わたしの名によってほしいままに語り、あるいは他の神々の名によって語るならば、その預言者は殺さなければならない』。
※要するに適当なことは言えず、神が語れと命じた意味だけを言うことにしている。
到底偽りの意味合いなど言えず、それを言えば「頸動脈をきる」とさえその暗示の言葉であるからだ。
18:21あなたは心のうちに『われわれは、その言葉が主の言われたものでないと、どうして知り得ようか』と言うであろう。
※それが本当に、神からくるものなのか、どうして知ることができるというのである。これも図星の意味合い。
必ずその言葉を言い返すことも知りえているのである。
18:22もし預言者があって、主の名によって語っても、その言葉が成就せず、またその事が起らない時は、それは主が語られた言葉ではなく、その預言者がほしいままに語ったのである。その預言者を恐れるに及ばない。
※今まで語れと言われるさばきの内容は、右の耳鳴りなら命にかかわる出来事、また笛の音は悲嘆の笛というように、神がさばきを下す時に悲しむ意味を持っている。
私も、その起きるべき出来事を確認して、時折複雑な心境になる。
さて、ヨハネの福音書ではこう言っている。
3:18彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。
※その話す内容というものが、神との遭遇からはじまるすべての物語だが、聞くほうは信じることができずに、その言葉を聞いて、その言葉を言うがために躓くとある。
彼らは何に躓くのかを知らないとまで言っている事実。
4:4父はわたしを教えて言った、
「わたしの言葉を、心に留め、
わたしの戒めを守って、命を得よ。
4:5それを忘れることなく、
またわが口の言葉にそむいてはならない、
知恵を得よ、悟りを得よ。
4:6知恵を捨てるな、それはあなたを守る。
それを愛せよ、それはあなたを保つ。
4:7知恵の初めはこれである、知恵を得よ、
あなたが何を得るにしても、悟りを得よ。
4:8それを尊べ、そうすれば、それはあなたを高くあげる、
もしそれをいだくならば、それはあなたを尊くする。
4:9それはあなたの頭に麗しい飾りを置き、
栄えの冠をあなたに与える」。
4:10わが子よ、聞け、わたしの言葉をうけいれよ、
そうすれば、あなたの命の年は多くなる。
4:11わたしは知恵の道をあなたに教え、
正しい道筋にあなたを導いた。
4:12あなたが歩くとき、その歩みは妨げられず、
走る時にも、つまずくことはない。
4:13教訓をかたくとらえて、離してはならない、
それを守れ、それはあなたの命である。
4:14よこしまな者の道に、はいってはならない、
悪しき者の道を歩んではならない。
4:15それを避けよ、通ってはならない、
それを離れて進め。
4:16彼らは悪を行わなければ眠ることができず、
人をつまずかせなければ、寝ることができず、
4:17不正のパンを食らい、暴虐の酒を飲むからである。
4:18正しい者の道は、夜明けの光のようだ、
いよいよ輝きを増して真昼となる。
4:19悪しき人の道は暗やみのようだ、
彼らは何につまずくかを知らない。
※中にはその言葉で取り返しのつかぬことを言った者もいる。
怒る者と交わるな、そして憤る者とは共に行くな。
この二つの意味合いにおいてはその行動が神に制止されているので、伺う意味合いはないことになる。
ただ、友は見捨てるなとあるので、悟らなければ命が危ういと言い切る。
3:36御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。
※信じて従わない者は、命に預かることができないばかりか、神の怒りがその頭上にとどまるというのである。
要するに災いを確実に受ける暗示の言葉である。
7:9それゆえあなたは知らなければならない。あなたの神、主は神にましまし、真実の神にましまして、彼を愛し、その命令を守る者には、契約を守り、恵みを施して千代に及び、
7:10また彼を憎む者には、めいめいに報いて滅ぼされることを。主は自分を憎む者には猶予することなく、めいめいに報いられる。
7:11それゆえ、きょうわたしがあなたに命じる命令と、定めと、おきてとを守って、これを行わなければならない。
※私が世に伝えているのは、守るべき神の律法ただ一つ、これを守れば災いに会うこともないと言っている事実がある。
私の言葉を拒み、それをはねのけたほうが災いであり、それの恐ろしさがなんであるかを悟らない。
シラ22:12 死者のための嘆きは、七日間続くが、 愚か者や不信仰な者のための嘆きは、 彼らが生きているかぎり続く。
※これが悲しむべき私のその経験を意味する実際の出来事。
愚かなる者や不信仰な者のための嘆きは、彼らが生きている限り続くと言っているが、
そのさばきが命じられ、それを語る私の心境、
「信じていれば命を得ているのに」だけである。
それでも人々は私の呼び掛けの意味に盲目である。
聖書ではこう言っている。
友に慈愛を持たぬ者は創造者を捨てると…
私自身も神との出来事が、本当のことゆえ、友は見捨てずにその言葉を語りに行くのだが、いかんせん、彼らは記されているとおり悟らずに、私の言うことを信じることができないのならば、記されているとおり、神の怒りが頭上に及ぶのである。
これの厳しさと恐ろしさは一番知るのは私なのだが。




