愚かな行動も反省しなければその病は死を迎える。
因果なのだろうか、その行動はすべてにおいて神が見られている。
戒めの言葉をわたしの言葉から語らないか、語るかでその人物の運命も分かれるのである。
3:17「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家のために見守る者とした。あなたはわたしの口から言葉を聞くたびに、わたしに代って彼らを戒めなさい。
※わたしはその運命を神との出会いの意味に悟る故、実際の出会いの意味においても、その意味を伝えるために行動する時がある。
そのペンネームをそっと教えるか、紙に書いて手渡すこともある。
わたしはその意味において人々を戒める。
3:18わたしが悪人に『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、あなたは彼の命を救うために彼を戒めず、また悪人を戒めて、その悪い道から離れるように語らないなら、その悪人は自分の悪のために死ぬ。しかしその血をわたしはあなたの手から求める。
※わたしがその行いを見ていて、その人の行動に問題がある場合、その命を救うために戒めなければその人物は自分の行いの為に命を落とすことになる。
3:19しかし、もしあなたが悪人を戒めても、彼がその悪をも、またその悪い道をも離れないなら、彼はその悪のために死ぬ。しかしあなたは自分の命を救う。
※たとえば病を負いながら飲酒の愚かさを見て、戒めるときがある。
友ではないが以前、一軒の店でその人物と出会った。
その時に病の意味をその口から聞いたことがある。
わたしはペンネームの書いた紙を手渡したのだが、それから事情があり店に戻るとその紙は無造作に置かれていた。
その意味を知ることを拒んだのであるのだが、先日、その人物がその店に来て飲酒をしている様子をみた。
当然、その運命は飲酒をすれば危険な状況に追い込まれるであろうと予測できた。
人の身体というもの、その病を得るときに神の戒めとして与えられるときがある。当然ながら本人はその意味を悟らない。
そんなときに、神の戒めの言葉を語るようにその行動をするかどうかを考えるのはわたしなのだが。
どうにもほっておくことはできない。
当然ながら、その病の状況で飲酒をするは魔の水と化すのである。
要するに神の宣告でいえば「あなたは必ず死ぬ」と言うとき、その人物が見ていることを祈るのみなのである。
問題は戒めの言葉を語るので、考え直して悔悟の心をもつかである。
箴言にはこうある。
7:10見よ、遊女の装いをした陰険な女が彼に会う。
7:11この女は、騒がしくて、慎みなく、
その足は自分の家にとどまらず、
7:12ある時はちまたにあり、ある時は市場にあり、
すみずみに立って人をうかがう。
7:13この女は彼を捕えて口づけし、
恥しらぬ顔で彼に言う、
7:14「わたしは酬恩祭をささげなければならなかったが、
きょう、その誓いを果しました。
7:15それでわたしはあなたを迎えようと出て、
あなたを尋ね、あなたに会いました。
7:16わたしは床に美しい、しとねと、
エジプトのあや布を敷き、
7:17没薬、ろかい、桂皮をもって
わたしの床をにおわせました。
7:18さあ、わたしたちは夜が明けるまで、
情をつくし、愛をかわして楽しみましょう。
※女遊びに没頭する者はわたしも経験があり、神のきつい戒めを受けることになる。
ましてやこれから離れないと命を落とす羽目に陥る危険性が伴う。
7:24子供らよ、今わたしの言うことを聞き、
わが口の言葉に耳を傾けよ。
7:25あなたの心を彼女の道に傾けてはならない、
またその道に迷ってはならない。
7:26彼女は多くの人を傷つけて倒した、
まことに、彼女に殺された者は多い。
7:27その家は陰府へ行く道であって、
死のへやへ下って行く。
※酒と遊女にうつつを抜かし愚かな行為をする輩は神が戒めを病を与えていると悟らねば命を取られるのである。
3:20また義人がその義にそむき、不義を行うなら、わたしは彼の前に、つまずきを置き、彼は死ぬ。あなたが彼を戒めなかったゆえ、彼はその罪のために死に、その行った義は覚えられない。しかしその血をわたしはあなたの手から求める。
※心に義を置く者も血迷えば先ほどに遊女に没頭する意味は死を意味する。
ましてや選民の輩であればもっともなことである。
3:21けれども、もしあなたが義人を戒めて、罪を犯さないように語り、そして彼が罪を犯さないなら、彼は戒めを受けいれたゆえに、その命を保ち、あなたは自分の命を救う」。
※その行動に反省して、義に戻りよく考えるのであれば神は生きるといわれている。




