いわれのないのろいは、止まらない。
21:22もし人が死にあたる罪を犯して殺され、あなたがそれを木の上にかける時は、
21:23翌朝までその死体を木の上に留めておいてはならない。必ずそれをその日のうちに埋めなければならない。木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が嗣業として賜わる地を汚してはならない。
※呪われている以上は、聖書に記された神の怒りが戒めとしてわたしに及んだ。
実を言うと、昨日、申命記の第21章の文末の言葉を見て、気がついたのである。
今までは、わたしとそれを読んでいる者の知るとおりでは、いつもその意味を母親に話して、信じてもらえず狂乱じみたわたしがいた。
当然ながら、その意味においては主の言われているとおり、木に掛けられているので呪われていた。
箴言にはこう記されている。
20:20自分の父母をののしる者は、
そのともしびは暗やみの中に消える。
20:21初めに急いで得た資産は、
その終りがさいわいでない。
※呪いのかかったまま気がつけねば、その状態は続いていただろう。
なおかつこうある。
19:26父に乱暴をはたらき、母を追い出す者は、
恥をきたらし、はずかしめをまねく子である。
※かつてその意味を両親に告白したわたしの罪をそのとおりに記載したものである。
また箴言の26章にはこうある。
26:2いわれのないのろいは、飛びまわるすずめや、
飛びかけるつばめのようなもので、止まらない。
わたし自身(もう一人の意味する重要な方)が、かつて十字架にかけられ、埋められることなく、大きな岩の戸がある墓に入れられた。
主は申命記でこう語られていた。
木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。
さて、わたしが主からの戒めを受けてきたことにおいて、神に命じられた浄化のパンを食べているが、その浄化の意味の根本を昨日までは、
木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。という意味合いを完全には理解しておらず、
あなたの神、主が嗣業として賜わる地を汚してはならない。という重要な意味は、その十字架に架けられた時の神の怒りの呪いを理解して、わたしがその心に悪の心を持つのではなく、善の心を持ち、かつての十字架の憎しみを消し去れるかにかかっていたことになる。
いわれのないのろいは、止まらないと主が言われるように、十字架で散った方であるイエスキリスト、もう一人の主を意味する方であるので、その命を落とす十字架の意味で、確かに神の律法を批判した意味においては神に罪を犯したが、それが死に値する罪であっただろうか。
エラミア書には人の罠にかかって死んだとあるのだ。
そのいわれのない呪いは止まらないとある意味、反省しない者らには脅威であるとわたしは言おう。




