滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、
高ぶることはしない、その意味を伝えることにおいて…。
わたしは真を尽くしていきたい。
エノク書にこう記されている。
14.7.1
そして汝らの代願(erotesis)は、彼ら〔息子たち〕についてはもとより、汝らについてもないだろう。そして汝らは泣き、縛られ、わたしが書いた書面にある片言隻句も話すことはできない。
※代願とは、他の人に代わって神仏に祈願すること。また、その人である。
これに記されている以上、エノク書では彼ら(その律法を侮る者)に関して、神にお願いして許される意味はないだろうと記されている事実。
律法を守らねば、その断たれるという規定は100パーセントだというのである。
そして彼らは泣き、縛られ(とらえられた時)、わたしが書いた書面にある片言隻句に、話すこともできない。
片言隻句とは、その書面に対してわずかな言葉、またはほんのちょっとした言葉でも話すことはできないと記されている事実である。
今現在、その言葉を長き間伝えてきておるが、その話す言葉に一言でもつぶやく事が出来たのは誰もいなかった。
2013年の時より、事実を語ってきているが、その記されたつぶやきにおいて、一言を言う者はいなかったのである。
聖書において神につぶやくものは死に絶えるとあるが、彼らはそれを守ったのである。
ゆえにわたしもあなた方を救うために、安息日にその魂の言葉を伝えるのである。
聖書にはこう記されている。
9:22もし、神が怒りをあらわし、かつ、ご自身の力を知らせようと思われつつも、滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、
9:23かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。
9:24神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。
9:25それは、ホセアの書でも言われているとおりである、
「わたしは、わたしの民でない者を、
わたしの民と呼び、
愛されなかった者を、愛される者と呼ぶであろう。
9:26あなたがたはわたしの民ではないと、
彼らに言ったその場所で、
彼らは生ける神の子らであると、
呼ばれるであろう」。




